2016
12.05

キャリア教育について感じていること2

私は青森県の高校を卒業しました。青森で生まれ育ったのではなく、父の仕事の関係で高校2年生の2学期に都立高校から青森県立高校に転校しました。今から40年近くも前のことですので、先生や同級生の津軽弁が分からなかった。人柄が穏やかで優しい人が多かったので、私と話をするときは東京のイントネーションや言葉を使って話すように気を遣ってくれたのですが、中には面白がって、わざと津軽弁を強調する人もいて、そうした人の話はほとんど理解できませんでした。後に教員になってから、何かの本で戦前に青森の高校生と鹿児島の高校生が話をしたときに、言葉が通じなくて英語で話をしたという本当か嘘か分からないエピソードが書かれていましたが、そういうこともあるかしれないと肯いたものです。
青森は冬になると雪がたくさん降りました。(今でもたくさん降ると思います。)雪は12月になると根雪となって、春が来るまで溶けません。校舎のコの字のところには吹き溜まりができ、3m近く雪が積もりました。勇気のある男子生徒は、その吹き溜まりに3階から飛び降りてみせました。そして私は「東京っ子さに津軽の雪ん子の味を教えてやらねばまいね。」と言われ2階の窓から吹き溜まりに投げ込まれました。
進路を決めなければならない2学期の放課後、教室の窓から八甲田山を見ながら、同級生たちと卒業後どうするつもりかお互いに話しました。私は東京に戻って大学に進学する、という話を同級生にしましたが、同級生の中からは「お前がうらやましい」という反応がありました。私にとっては東京に戻り進学することは自明でありましたが、青森で生まれ育った同級生にとっては、高校を卒業した後に、東京に出て進学する、または就職するということは、人生全てを賭けた挑戦であったようです。青森を出て東京に出て進学するつもりだと話した何人かの同級生は、比較的経済的に恵まれた家庭の生徒だったように思います。しかし、中には親から地元の弘前大学以外の進学は認めない、合格しなければ農業を継ぐように言われている、あるいはお見合いをして嫁に行くように言われていると話した人もいました。
私が高校生の時に体験したこうした状況は、どこまで変わってきているのかよく分かりません。しかし、生徒諸君が都立工芸を卒業後に進む大学や専門学校、会社には大勢の地方から東京に出てきた人がいます。地方から出てきた人は、きっと田舎で暮らす親や親族、あるいは地元に置いてきた友人の思いを背負っていることでしょう。親が引き止めるのを振り切って東京に出てきて勉強をしたり、仕事をしたりしようとしている人もいると思います。当たり前のように東京都内で生活をして、進学をしたり就職したりしている私たちよりも、はるかにハングリーであることが多いのではないか。進学先の学校や就職した会社は、東京出身の私たちと地方から出てきたハングリーな人たちとを区別して評価するわけではありませんので、皆さんはそうした人たちと競争しながらがんばっていかなければならなくなると思います。
生徒諸君が、卒業後にこうしたいろんな人たちに負けないエネルギーを在学中に吸収してくれることを願っています。

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