2017
04.18

虚無と絶望との戦い

ミヒャエル・エンデというドイツの童話作家の作品に、「はてしない物語」という作品があります。本の表紙には尻尾を咥えあっている2匹のヘビがデザインされていて、ストーリーの一番最後の大事な場面でその意味が分かるようになることが印象的です。
このお話は大きく二部構成になっています。前半部は虚無との戦いがテーマになっています。読んだ人はよく御存知だと思いますが、崩壊に瀕しているファンタージエンを救うため、主人公の少年が本の中の世界に入り込んでしまいます。そして、ファンタージエンの中で活躍していたアイレーユや龍のフッフールと共に、冒険をするお話が展開していきます。ファンタージエンの崩壊とは、現実世界に生きる人々がファンタージエンを忘れたことによって起こっていて、そのために虚無がファンタージエンを呑み込んでいきます。ファンタージエンの生き物は虚無に呑み込まれると現実の世界では、虚偽や人間の頭の中の妄想として現れるといったことも描かれています。
ではこの虚無とは何だろうか。はてしない物語の中では人狼の口からアイレーユに、人間世界の戦争や世界帝国が虚偽によって生まれること、ファンタージエンの虚無が広がれば広がるほど、人間世界の虚偽が拡大することが語られます。このことはミヒャエル・エンデの、ファンタージエンに代表される人間の創造性や想像力を滅ぼすのは虚無である、という考え方が示されています。虚無の辞書的な意味や哲学のニヒリズムを検索すると、もっともな説明が書かれています。しかし、ミヒャエル・エンデが示した人間の創造性や想像力が欠如していくと、世の中に虚無と絶望が支配的になっていくというものの見方は具体的で納得性が高いと感じられます。
そして、今現在、虚無に呑み込まれて崩壊しそうなのは、ファンタージエンではなく、現実世界なのかもしれないと感じることが、世界で、日本でいろいろと起こっています。しかしながら、現実世界には「幼ごころの君」は多分いないので、誰かが名前を付けることで世界が救われることもなく、私たち一人一人がどんなことが起きようと、虚無や絶望と戦っていかなければならないということが感じられてなりません。私たちは虚無や絶望がどんなに深いものあっても、創造性と想像力をもつことで、世界や日本で起こっている様々な虚偽や事件、事故に立ち向かっていかなければなりません。
さて、20世紀の哲学はいろんな捉え方はあると思います。宗教から哲学が決別して以来、人間の在り方を根底から問い直そうとする哲学者が何人も出現しました。人間の孤独性を積極的に受け入れて、そのことを超克しようとする哲学者や、ヨーロッパでの考え方に限界を感じ、東洋や仏教を取り入れようとする哲学者も少なくないようです。しかし、20世紀は2度の世界大戦を経験するだけでなく、人類史上かつてないありとあらゆる残虐行為が発生した時代でもありました。人間の尊厳を脅かす虚無と絶望からの人間の在り方を問い直し、組み直す思索を行うことが哲学の役割だったように思います。
ミヒャエル・エンデの作品もその影響を強く受けているように感じられ、虚無と絶望からの回復、再生が、はてしない物語の後半部では描かれているようにも思われます。
20世紀で提起された人類的な課題は21世紀になって解決したとは思えません。むしろネットワークの発達とAIの出現によってより複雑化しているように思います。
これからの創作活動はこうしたことも踏まえながら進めていく必要があるのではないでしょうか。

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