2017
04.20

都立工芸体育祭の歴史

今年度の全日制体育祭が近づいてきて、各科の練習もいよいよ本格的になってきました。朝練のためずいぶんと朝早くに家を出ている人も多いと思います。保護者の皆様、お子様を朝早くに送り出すために御協力いただき、本当にありがとうございます。ちなみに定時制の体育祭は10月上旬ですので、まだ先になります。
さて、今年は創立110周年ですので、都立工芸では体育祭がどのような経緯で行われるようになったのか、校長室にある資料で調べてみました。
けれども、いつから体育祭が行われるようになったのかについては、はっきりしたことは今のところ分かりません。都立工芸が大正12年(1923年)に発生した関東大震災で全焼する前、京橋区築地に校舎があった大正年間の話として、『運動会は毎年秋には校庭が狭いので二子玉川遊園地で行われたが、我々が二年生の時上級生同士の競争合図に使用するピストルによる事故があって以後、運動会は中止になった。』という妙に物騒な記録と、『運動会は京王遊園で行った。各科応援歌の練習もやった。』 という記録を見つけることができるにとどまりました。(「築地時代に学んだ想い出を綴る―築地万年橋」築地工芸会80周年編集委員会編)
水道橋に校舎が移った昭和初期の話として、昭和4年(1929年)に運動会が開かれるようになった記録が残っています。(「創立80周年記念 工芸高校80周年史」築地工芸会記念誌編集委員会編)それによると、『運動会をやりたい、という考えがみんなの心の中にあった。本建築が水道橋に出来てから、校友会競技部の極度の拡張及び社会スポーツ熱に動かされて、体操以外の体育(すなわち競技)というものに対する理解を大部分の人が持って、それは必然的に実行に移された。期日は11月3日(昭和4年)場所は山肩先生の御厚意で陸軍戸山学校のトラック及びフィールド、競技は各科対抗のものを入れてやるということに定まった。−中略−Aは白、Pは黄、Fは赤、Mは紫に各科色別が定められて、各自の色の旗が作られ、屋上で応援歌の練習が始まった。選手は校庭の急場に作られたトラックで練習を始めた。』
「工芸高校80周年誌」には第6回運動会(昭和10年 1935年)の写真が掲載されていて、グランドに面した3階建ての旧校舎の壁面いっぱいにF科(現I科)のモニュメントである巨大なのこぎり、P科(現G科)のモニュメントである巨人像、M科の巨大なMの文字が貼り付けられている様子がよく分かり、戦前からのDNAが平成29年の現在まで都立工芸では綿々と受け継がれていることがよく分かります。
昭和4年以降7年間運動会が開かれ、昭和12年(1937年)に中国との戦争状態が深刻になるとともに運動会は中止となりましたが、翌昭和13年に体育会という名称で一旦再開されました。競技種目としては「二人三脚」「百足競争」「メジシングボール」といった種目が各科対抗で行われ、チームカラーはA科緑、M科紫、F科赤、P科黄となっています。しかし、昭和15年には各科対抗が廃され、昭和16年には報国団鍛錬部大会という名称に変わり、武装競争といった軍事色が強い競技もあったと記録にはあります。
第二次世界大戦敗戦後の都立工芸高校は、工作機械類が企業の工場に動員されていたままであったり、GHQに差し押さえられてしまったりの状態だったということもあり、授業や学校生活を軌道に乗せるのに大変な苦労があったと記録にはあります。昭和22年(1947年)は本校創立40周年で記念の工芸祭が開催されるとともに、体育祭は本科、第二本科合同で実施され、はでなデコレーションも復活したということが、「都立工芸100年の歩み(築地工芸会創立100周年記念誌編集委員会編)」に書かれています。
昭和23年に本科は5年制の旧制実業学校から3年制の新制高等学校へ、第二本科は4年制の定時制高等学校へと改編されました。昭和24年(1949年)図案科が新設され、現在の5科がそろいました。昭和24年の体育祭では、図案科はシンボルカラーにコバルトブルーを選択し、かつ少人数であることカバーするために、デコレーションで他科を圧倒する作戦として、高くそびえる「パレットを背にしたヴィーナス像」を制作したということです。さらにその翌年には「天国への階段」と題したデコレーションでその高さが校舎屋上に達し、それ以降、各科が高さを競うようになったため、高さ制限が決められるようになったということも「都立工芸100年の歩み」に書かれています。また、創立八十周年記念誌にはこの時期の体育祭の様子を旧職員の手記として、『戦後いち早く工芸体育祭が開かれ、生徒とともに大いにハッスルした。特に、各科のデコレーション仮装行列は科の粋を極め、江戸前の神輿をハッピ姿でかつぐもの、結婚式の仮装行列、更には目玉の動く巨大こけし人形など、そのアイディアは目をみはるものがあった。さすがに工芸ならではの感がした。見物人の中には進駐軍の兵士までヤンヤと押し寄せ、その日の夕刊に体育祭の写真がのったりした。』という記載もあります。
 こうした歴史的な経緯を経て体育祭は今日へとつながってきています。今年度の体育祭の優勝がいったいどの科となりますか、生徒諸君の活躍がとても楽しみです。

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