2017
06.05

ディズニーアート

小学校に入学する前だったと記憶しています。ある日曜日に父親から、「今日映画に行こう」と誘われました。もちろん子供だった私に異論はなく大喜びでした。世の中の父親の多くがそうであるように、私の父親も平日は仕事で帰宅時間は遅く、子供が寝る前に帰って来たことはありませんでしたし、日曜日はゴロゴロしていて、「遊ぼうよ」とせがむのは 憚られる時が多かったです。
当時、映画館があるのは東京の盛り場で、東京近郊の田舎町に住んでいた私はそんな所へ行ったこともなく、ワクワクしながら電車に乗りました。「子供向けのマンガ映画だよ」という父親の説明から、私は「東映子供マンガまつり」に連れて行ってくれるものと思っていました。しかし、映画館に着いて父親が「この映画だ」と言った映画はなんと「白雪姫」だったのでした。
小学校にあがるか、あがらないかの時期の男の子にとって、「男らしい」という価値は絶対的なものでしたので、知らなかったこととはいえ「白雪姫」などという女の子しか見ない映画に連れてこられ、映画を見てしまうことは、致命的なミスを犯すことになります。固まった私に父親は「仕方がないだろう。きっと面白いぞ」といったこと言い、無理矢理映画館に引っ張り込みました。今にして思えば、おそらく父親は誰かに「お子さんと一緒にどうぞ」というようなこと言われて、映画の鑑賞券を貰い、「うちは男の子だから」と言って受け取りを拒否することもできず、貰った以上息子を強引に映画を見せねばならなかったのでしょう。
そんな大人の事情など想像できるわけもなく、嫌々映画館に入ると、入場した子供は白雪姫からのプレゼントを受け取らねばならないという、さらなる試練が待ち受けていたのでした。プレゼントには2種類あって、白雪姫の絵本か、下敷きのどちらかを選ばなければなりません。どちらも要らない、ということができる空気ではありませんでした。私は素早く絵本には厚みがあり、しかも背表紙に「しらゆきひめ」と印字されているのに気が付きましたが、下敷きは薄っぺらくて本棚の絵本の間に挟み込んで隠せることを見て取りました。友達が家に遊びに来て、「しらゆきひめ」を発見してしまう危険性のより低い選択として、当然私は下敷きを選びました。
そういう経過を経て、生まれて初めてディズニー映画を見ました。実は「とても面白かった」という感想をもったことを覚えています。
「白雪姫」はディズニーの最初の長編カラ−アニメ で、第二次世界対戦前の1937年に制作されました。80分の長編アニメは初めての試みながら、美しい映像と音楽、白雪姫とその継母、7人の小人といったキャラクターが特徴的で、長編カラ−アニメ初作にして傑作といってよく、興行的にも大成功だったということです。ディズニーは「白雪姫」に引き続き、「ピノキオ」「ダンボ」「バンビ」「ファンタジア」といった長編カラ−アニメ映画を続けて発表していきます。こうした作品は戦後に日本に入ってきて、私が子供の頃は映画館で上映されることもあったのだろうと思います。
帰り道、父親が「面白かっただろう?」と言いましたが、男の子のプライドがあり「まあまあかな」というようなことを答えたことを覚えています。
さて、お台場のちょっと先にある日本科学未来館で「ディズニーアート展」をやっています。「白雪姫」の鉛筆による原画もありました。まさしく芸術作品でした。ディズニーアニメがなぜ高い創造性を保ちつつ、興行的に成功し続けているかについては、ぜひ展覧会に行ってお考えください。「白雪姫」の鉛筆画も「眠り姫」や「不思議の国のアリス」の色彩画も「美女と野獣」のCGも「アナ雪」の雪の結晶画も映画とならずとも、一個の芸術として完成した作品でした。
戦前の鉛筆画の美しさから、初めて見た「白雪姫」のことが思い出されました。

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