2017
10.23

運慶展

運慶が最も優れた仏師であることに異存がある人は少ないでしょう。
鎌倉時代の初期に、幕府の武士たちに依頼され、あるいは興福寺や東大寺の復興のために、手がけたその仏像は、芸術性の高さと独創性において日本の彫刻史上類を見ないものです。
運慶の父親は康慶という仏師であり、奈良仏師として興福寺の復興に大きな業績を残した人でした。平安時代末期は天皇家や摂関家の勢力が衰え、政治的実権を握った武士の時代への過渡期で、武士の棟梁である源氏と平家の武力衝突の時代でした。こうした武士の勢力争いには京都周辺の僧兵を擁した京都周辺の大寺も関与し、争いに巻き込まれていきました。平重衡による古都奈良(南都)への攻撃がなぜ行われたのか、どのような経緯で東大寺と興福寺が焼き討ちになったのか、調べてみると偶発的な要素もあるようですが、東大寺や興福寺が焼失することは、きわめて大きな歴史的文化的損害であると同時に、人々が精神的な拠り所を失う大事件でありました。
この南都焼き討ちの後、高倉上皇の崩御、平清盛の逝去が続き、源氏の挙兵、源氏の軍勢の上洛によって平家は壇ノ浦での滅亡への道を歩み始めます。一方焼け野原となった東大寺と興福寺では僧重源による復興運動が始まり、後白河法皇や新しい権力者である源頼朝による支援などにより、徐々に立ち直るようになりました。その際に腕を振るったのが、康慶とその息子運慶でありました。
平安時代中期から後期の代表的な仏師は定朝という人です。11世紀の初期から中期にかけて活躍した仏師で、代表作は宇治平等院の本尊である阿弥陀如来坐像です。平等院は藤原頼通(藤原道長の後継者)によって建立され、その鳳凰堂は十円硬貨のデザインにもなっています。阿弥陀如来坐像は上品なお顔立ちと全身が柔らかな曲線を特徴としていて、全体として彫りが浅く、身にまとっている衣も薄く表現されていて、いかにも平安貴族が好みそうな優雅な仏像です。定朝の仏像は定朝様(よう)と呼ばれ、仏像彫刻の主流となっていきました。
康慶の作品が最初に現れたのが、12世紀半ばであったので、定朝からおよそ100年後のことです。「運慶展」には康慶の作品がいくつか展示されています。康慶作の四天王立像(興福寺)を見ると、運慶に見られる肉体的表現やリアリズム、写実性がすでに出現しており、彫りが深い仏像となっています。康慶が息子の運慶に大きな影響を与えたと言って間違いありません。また、康慶作の法相六坐像(興福寺)などは一人一人の僧の微妙な表情までを彫り込んであり、今にも立ち上がって動き出しそうな錯覚まで覚えます。運慶の傑作の一つである世親菩薩立像・無著菩薩立像(興福寺)に表現された人間のリアリズムにつながるものです。
このように康慶から引き継がれた仏像の肉体的な表現やリアリズム、写実性は、運慶においてさらに大きく発展しました。世親菩薩立像・無著菩薩立像や四天王立像(興福寺)毘沙門天立像(願成就院)は一見の価値があります。圧倒的な存在感で見る人に迫ってきます。ではなぜ、康慶や運慶はこうしたリアリズムや写実性を重要視したのでしょうか。いろんな理由が推測できると思いますが、彼らの活躍した時代が源氏と平家が武力衝突をしていた戦乱期であったこと、東国の武士たちが信仰の対象をより具体的で分かりやすい仏像を求めたことが理由ではないか、と考えます。戦乱期の人々にとって、仏法を護持する四天王は誰よりも力強くなければなりません。正邪を正し、戦さを終わらせることができる仏像を人々は求め、その思いが運慶の作品につながっていったのでしょう。そして、その力強さを表現するには、よりリアリズムや写実性が必要でした。
康慶の弟子でやはり優れた仏師に快慶がいます。快慶はよく運慶と対比されますが、やはり写実性の高い作品となっています。けれども、その作品は運慶の作のように生々しい人間が感じられるのではなく、人間のもつ精神性の高さや清らかさが表現されており、運慶とは異なった人間のもつ面を仏像に託しています。戦乱期の中だからこそ、人々は人間のもつ精神の気高さを仏像に求めたに違いなく、快慶はそうした人々の求めに応えた仏像を彫りました。
残念なことですが、運慶のもつ強烈な個性は後継者に引き継がれることなく廃れました。運慶展では運慶の子供たちの作品も展示されていました。運慶の子、康弁の作である天燈鬼立像・龍燈鬼立像(興福寺)が展示されていて、その強烈な個性には目を引くものがありましたが、運慶の後継者であった湛慶の作品には繊細さが目立つようになり、運慶の作がもつ生々しい人間臭さのようなものは感じられません。その意味において、運慶は突出した存在です。なぜ運慶のもつ個性が後継者たちに引き継がれていかなかったのか、ということも仏像研究、彫刻研究において重要なテーマであるように思いました。
「玉眼」のことにも触れておきます。仏像をより生きた人間のように表現する技法として、運慶展では玉眼が説明されていました。仏像の目に水晶を入れてキラキラ輝かせ、生きた人間のように感じさせる技法です。こうした細かい技法により運慶の仏像がより写実性と力強さをもって、見る人を魅了することを感じます。
運慶展はとても混んでいますが見る価値のある展覧会でした。

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