2017
11.28

明治レトロ大正ロマンの続き

 工芸祭について書いたブログの中で、大正期を端的に表すことができる風俗を描くのは難しいということを書きました。唯一のそれは、海老茶式部と呼ばれる女学校生徒の姿で、大和 和紀の「はいからさんが通る」で表現されている、ということも書きました。
 海老茶式部とは、明治の終わりごろから昭和の始めにかけての女学校生徒の通学服のことです。現在でも大学等卒業式で多くの女性が着用する晴れ着として残っていて、着物に袴をベースとした格好であることはよく知られています。袴はもともと男性が着用するもので、女性が着用するものではありませんでしたが、明治に入っていろんな経緯を経ながら、女学校生徒のために女性用の袴が工夫されました。考案したのは学習院女子部、当時の華族女学校教授であるとインターネットには出ています。女子生徒たちは、髪の毛を束髪庇髪に結い上げ、髪の裾を結い流しにして大きなリボンで結び、着物は矢餅柄(やもちがら)が定番となっていて、編み上げブーツ(革靴)を履いて通学していました。矢餅柄がどんな柄が知りたい方は、やっぱりグーグルで検索してください。すぐに出てきます。
 「はいからさんが通る」には主人公が自転車に乗るシーンがあります。颯爽と女学校生徒が自転車に乗る様子が時代の最先端として小説にも描かれています。この自転車通学の女学生のモデルは、芝の自宅から上野の音楽学校に自転車で通っていた後の国際的なオペラ歌手となる人で、当時「自転車美人」と言われて見物人が出ていたそうです。明治の終わり頃では、まだ自転車はきわめて高価な贅沢品でした。1台150円から250円(イギリス製かアメリカ製の輸入車)だったそうで、貨幣価値換算は難しいですが、おおむね当時1円を現在2万円とする説が多いので、自転車の値段は現在の国産高級車と同じぐらいの値段だったと思われます。
 大正期は「モガ」の時代でもありました。モガの女性たちが髪をバッサリと断髪にして、お洒落な帽子をかぶり、世界の流行の先端をいく洋装の写真が残っています。社会進出の先駆けとして、多くの女性たちがそれまでには無かった職業に就くようになりました。「はいからさんが通る」の主人公も、婚約者である少尉がシベリアで戦死した後、没落する婚家を建て直すために、髪を短く切って洋装し、出版社に勤める姿が描かれています。モガが時代の流行としてもてはやされ、多くの女性の憧れであったとは思いますが、例えば一口で洋装といっても、簡単に安価に洋服が手に入るわけではなく、モガであるためには相当な努力と出費が伴ったものと推測します。
 いろんな資料を読んでいると、関東大震災とともに大正ロマンという言葉に代表される大正期の自由で華やいだ雰囲気は終焉し、昭和初期の軍国主義が着実に台頭してくるように感じます。女学校の生徒たちの通学服は、海老茶式部からセーラー服を代表とする洋装へと変わっていきました。府立工芸学校の築地校舎は全焼し、水道橋における新しい時代へと進んでいくことになります。しかし、当時の工芸生たちは新しい時代への希望を胸に抱きつつ、昭和前期の幾多の困難を乗り越えなければなりませんでした。
 「はいからさんが通る」展は東大そばの弥生美術館で開催されています。12月24日までです。

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