東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムのデザインだけを取り出せば、そのオリジナリティには何の問題も無いように感じられますが、当該のデザインの周囲に存在していること、例えばデザイナーの他作品のオリジナリティや選考委員会がデザインを決定する際の透明性といったことが問題となり、結局はもう一度選考をやり直すことになっていったわけでした。こうしたことは、作品のオリジナリティについては作品そのものだけで完結すればよい時代はすでに終わっていることを示しています。
 そして、作品のオリジナリティという問題は、デザインの世界だけではありません。芸術、文学、音楽など、人間のすべての創造的な活動に関わる問題です。
 私が最近読んだ本で、村上春樹の「職業としての小説家(新潮文庫)」があります。村上春樹は日本を代表する小説家で「海辺のカフカ」「IQ84」などの長編小説を得意とします。主要な登場人物(主人公等)の言動や心理面のバランスが良いこと、内面世界を一種隠喩(メタファー)的に表現する傾向があること、日本的な抒情性を排除していることなどに特徴があり、世界中で翻訳されて読まれていると聞いています。また、私はデザインや美術系に進もうと考えている人ならば、村上春樹と日本を代表する指揮者である小澤征爾との対談集である「小澤征爾さんと、音楽について話をする (新潮文庫)」などは、(文学や音楽に関わっていくつもりがない人でも)読んでおく価値がきわめて高い本だと思います。村上春樹が今年こそノーベル文学賞を取ると信じているファンも多く、そのこと自体が報道の対象となっています。
その「職業としての小説家」の中に「オリジナリティについて」という章があります。その章には村上春樹が15歳の時にラジオで初めて聞いたビートルズやストラビンスキーの春の祭典、マーラーの交響曲が例に挙げられていて、そうした音楽を例にとりながら、作品がオリジナルであると呼ぶための条件を3つ示しています。主旨だけを抜き出すと、①独自のスタイル ②そのスタイルを自らヴァージョンアップできる ③そのスタイルは時間とともスタンダード化する、の3点です。
村上春樹は小説家でありますし、オリジナリティを説明するにあたって挙げている例がビートルズやビーチボーイズ、ストラビンスキー、マーラーであったりしますので、私たちのようにデザインやものづくり、工芸作品の制作におけるオリジナリティとはやや異質であるのかもしれません。では全く別のものであるか、というとそうであるとは思えず、例えば、優れた建築家やインテイリアデザイナーのデザインのオリジナリティなどとは、この3点については共通するものも多いように感じます。そしてさらに、村上春樹はこのように述べています。「何がオリジナルで何がオリジナルでないか、その判断は作品を受け取る人々=読者と「然るべく経過された時間」との共同作業に一任するしかありません。作家にできるのは、自分の作品が少なくとのクロノジカルな「実例」として残れるように、全力を尽くすことしかありません。つまり納得のいく作品をひとつでも多く積み上げ、意味のあるかさをつくり、自分なりの「作品系」を立体的に築いていくことです。」この文章の「作家」を「デザイナー」、「読者」を「デザインを見る人」と言い換えれば、オリジナリティに関しての村上春樹の考え方は、デザインやものづくりの制作に関わっている私たちにそのまま通じると思えます。このことを東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムの問題にあてはめると、エンブレムの作者は超一流のデザイナーでありましたが、盗作だという指摘を受けたときに、(デザインという仕事上難しかったかもしれませんが)、これまでの自分の業績を明らかにするなどにより、一般人である多くの人々にクロノジカルな共感を得る努力が不足したこと、すなわちエンブレム以外の作品群において、村上春樹が述べたような共同作業に欠けていたため、自分の作品のオリジナリティを一般の人々に認識してもらうことができなかった、そのことがエンブレムの再選定に世の中が動いていくことに決定的に作用したのではないかと私には思えます。
デザインだけではなくあらゆる美術、音楽、文学等、人間の創造性が発揮される分野で、これからもオリジナリティの問題は発生すると思います。特に人口知能の発達により、人間にしかできないと思われていた分野にもコンピュータが使用されるようになり、ディープラーニングによって学習を深めたAIの制作したデザインが世の中に出て来る可能性もあります。私たちは作品を制作していく過程で常にオリジナリティの問題と向き合っていく必要が生じていることを理解していなければなりません。 『おおしま手づくり絵本コンクール2016』(主催:公益財団法人 射水市絵本文化振興財団)において、デザイン科3年生 遠井 りなさんの作品が金賞・富山県知事賞を受賞し、吉田 萌菜さんの作品が奨励賞・毎日新聞社賞を受賞しました。(応募総数:小・中・高校計909点) 以下のサイトから、他の入賞作品もご覧になれます(外部サイトが開きます)。 おおしま手づくり絵本コンクール結果発表    下の画像は富山県射水市大島絵本館で行われた表彰式の様子とそれぞれの絵本の表紙です。     12月22日(木)終業式後にポートフォリオ­講習会が行われ、1・2年生の希望者161名­が参加しました。
株式会社コンセント、クリエイティブディレク­ター川﨑先生をお迎えして、ポートフォリオを­制作する際のポイントなどについてお話を伺う­、約一時­間の講演会でした。­
ポートフォリオを作るための様々なコツや技を­、実例をあげながら教えて頂きました。
講演中は熱心にメモを取り、講演会終了後も質­問をしたり、大学生のポートフォリオを手に取­ってみたりと真剣な姿勢で参加していました。 12月13日~16日の3泊4日間、2年生は修学旅行を行ってきました。 1日目:福岡空港から太宰府天満宮へ。国立九州博物館を見学後、長崎平和公園へ。 2日目:天候不良のため軍艦島・イルカウオッチングは代替えコースペンギン水族館等見学。池島炭鉱と外国人と長崎を散策するコースは実施。夜は貸し切りのグラバー園でお茶会とイルミネーションを楽しみました。 3日目:午前中三菱造船所へ見学。午後は長崎市内を自主研修。イルミネーションが美しいハウステンボスで夜の見学。 4日目:ハウステンボスのパスポートで1日園内のアトラクション等を楽しみました。大きな怪我や事故もなく参加した生徒全員無事に羽田空港に降り立つことができました。 今回の修学旅行で得た経験やインスピレーションを今後の課題制作や日々の生活に役立ててほしいと思います。 東京オリンピック・パラリンピックについての世間の関心は、競技会場の変更や開催費用の問題に移ってしまい、エンブレムのデザイン変更は過去のこととなってしまいました。市松模様の新しいオリンピック・パラリンピックのエンブレムはすっかり街の中に溶け込んで、街行く人々の関心を取り立てて引くこともなくなっています。
しかし、私はデザインのオリジナリティを考えるときに、東京オリンピック・パラリンピックのエンブレム変更は、常に先鋭的な問題提起をし続けるのではないかと感じています。
東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムのデザインが盗作であると主張したのは、ベルギーにあるリエージュ劇場のロゴの作者でした。この主張に対して、東京オリンピック・パラリンピックエンブレム作者は、作成したモティーフについて、「Tokyo(場所)・Team(結束)・Tommorow(未来)」の「T」で、そのデザインに3つのメッセージを持たせることで、東京という街(あるいは日本という国)の世界のスポーツ祭典にかける意気ごみを表現しようとしていると説明し、「Théâtre de Liège」のTとLを表現したロゴとは全くコンセプトが異なると強調し、盗作ではないことを説明しました。この段階で東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムの変更が必要となることは想像できず、一般の受け止めとして、たとえリエージュ劇場のロゴの作者が裁判を起こしたとしても、そうしたことはデザインの世界ではよくあることで、さほど重要ではないという認識でした。
しかし、この後事態は急変し、予想もつかなかった問題が示されるようになります。一つは東京オリンピック・パラリンピックの作者のデザイン事務所が過去に行っていたデザインの中に、明らかに盗用を疑われるものがいくつか出てきたことです。コンピュータやインターネットが現在のように発達する以前であれば、デザイン事務所の作品にはどのようなものがあり、それが世界中で制作されるデザインと類似性を有するかどうかを指摘することは不可能であったろうと思います。誰かが、このデザイナーの他の作品に盗作はないのだろうか、ということを疑った場合、グーグルでちょっと検索するだけで、膨大な資料をデータとして入手することができる、すなわちデータとなっていてWEB上に存在する資料であれば、いとも簡単に手に入れてデザイン作品を比較、対照することができる、ということが立証されました。そして、私たちが生きている時代がそういう時代であることを一般人が初めて認識した事例となったのではないかと思います。
もう一つは東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムを決定する際の、選考の透明性についての問題提起です。東京オリンピック・パラリンピックのエンブレム選考に参加するためには、非常に高いハードルが設けられていて、選考に参加できるデザイナーは超一流のごく限られた人たちだけでした。そのことが、選考は平等に行われるのではなく、最初からどのデザイナーの作品になるのか決まっていたのではないか、という疑いを抱かせてしまいました。さらにそれだけでなく、選考結果が決まってから、非公開でのデザインの変更を行っていたことまでが、明らかにされてしまいました。選考方法が間違っていたのであれば、もう一度選考をやり直すべきだという考えや意見が大勢を占めていくこととなりました。しかも、盗作を疑われているのであれば、なおさらやり直すべきだろう、と一般の人々は考えるようになりました。このことは、何かものを決めていく際に、その経過の透明性が問われる時代となっていて、例えば築地市場を豊洲に移す際の「盛り土」問題などで、誰がどのような経緯と経過で決定したか大問題となったのと質的には同じ内容であると考えられます。  日本語の中には幾多の外来語が使われていて、カタカナで表記してはされているものの日本語として完全に定着している言葉がたくさんあります。特に室町時代晩期、安土桃山時代にはスペイン、ポルトガル、江戸時代に入ってはオランダとの交易により、それらの国の言葉が入ってきました。例えばスペイン語ではシャボンやメリヤス、ポルトガル語ではパンやビードロ、オランダ語ではエレキやランドセルといった言葉がそれにあたります。第二次大戦後においては、世界の経済や産業の中心がアメリカであることや、日本自体が政治的、経済的、文化的に圧倒的なアメリカの影響下にあったことから、英語の外来語が多数を占めることになりました。しかし、それ以前においては、調べるといろんな国の言語から日本語に必要な言葉が取り入れられていることが分かります。  言語も文化の一つであることから、こうした外来語が日本語の中に取り入れられることは一種の文化交流ということができます。もちろん言語による文化交流には、背景としてそれまで日本に無かった「物」そのものが国内に持ち込まれて広く知られるようになったり、実際に使われるようになったりしたということも示していると考えられます。例えば「こすると泡が出て体を洗う物」が日本に持ち込まれた故に、シャボンという言葉が外来語として定着したわけですし、「小麦粉を練ってイースト菌で発酵させた後に焼いた食べ物」が同様に持ち込まれたために、パンという言葉が外来語として定着したわけです。そしてこれだけ多くの外来語が存在し、その言葉が示す「物」が同様に多く存在することから、日本人の国民性として、新しいものや外国から入ってくるものに対して拒絶することなく、むしろ積極的に受け入れていく性格を有していると想像されます。  長崎は、江戸時代の鎖国後に唯一ヨーロッパに門戸が開かれていた町であったため、進んでいる西洋の文明、文化、学問、技術に対しての日本人の対外的な興味、関心がこの町に集まっていただろうと推測します。しかし、江戸時代の出島はほんの小さな島でしかなく、オランダ人は大挙してやって来ていたわけではなかった。そしてキリスト教の再布教を幕府が恐れるため、できる限り出島を外界から遮断していたため、なかなか文化交流が進んでいくことがなかった。今回の修学旅行で稲佐山頂の展望台から長崎の町を一望しましたが、周囲を埋め立てられ、長崎の町と地続きとなっている現在の出島は、あまりに小さく何の変哲もない長崎市街の一部となっています。  安土桃山時代に海外との文化交流で国内に輸入された様々な文化、文物は鎖国によって、国内で独自の発展をすることとなったことでしょう。また一方で伝統的な日本の文化、文物についても対外的な接触を経験することによって大きく変容し、江戸時代で発展していくこととなったと考えられます。安土桃山時代において、螺鈿はヨーロッパとの交易による重要な輸出品であったようです。おそらくより華やかなデザインがヨーロッパでは好まれたのではないかと想像されますが、こうした影響によってか、江戸初期に尾形光琳らによって大胆なデザインが表現されるようになりました(「八橋蒔絵螺鈿硯箱(やつはしまきえらでんすずりばこ)」が東京国立博物館に所蔵されていて国宝となっています。)。鎖国が存在しなければ、例えば螺鈿の意匠も江戸時代には全く別のものとなっていたのではないか。鎖国があったがために、日本独特なデザインが様々に工夫されるようになり、発展していったことが考えられます。  歴史には「if」はありませんので、鎖国が存在しなかったらという設定によって日本の文化の発展や変遷を想定することは無意味でしょう。鎖国があったからこそ起きた日本独特な意匠の工夫に、私たちの美意識は魅かれているのではないか。すなわち、私たちの美的な感覚は安土桃山時代のヨーロッパ文明、文化との交流を経た後の江戸時代の日本独自の文化の発展に負っているところがきわめて大きいことを自覚する必要があると考えます。  全日制の修学旅行に同行しました。  1日目と2日目は天候が思わしくなく、2日目に予定されていた軍艦島見学とイルカウォッチングは中止となってしましたが、それ以外の行程は予定通り実施することができました。  1日目には九州国立博物館を訪問しました。九州国立博物館は2005年に開館した博物館で、大宰府天満宮の境内から立派なエスカレータで登った丘に建つ素敵な博物館でした。その展示内容は歴史的な視点が強いこと、アジアとの文化交流による日本文化の形成に関する視点が明確に打ち出されていることに特徴があるように感じました。縄文時代から中世の様々な文物が「文化交流展示室」で多数展示されていました。文化交流に視点を当てていることについて、博物館のホームページでは「日本の通史でもなく、九州の地域史でもなく、アジアとの文化交流史。私たちはこの展示室で、日本文化が外来文化の模倣だけでなく、消化し、蓄積して独自の世界を創造してきた道すじを示したいと思う。―中略―4階エントランスに掲げてある『海の道、アジアの路(みち)』。道は文化交流の動脈であり、生命でもある。人・モノ・情報が行き交う交通路であり、中継基地としての都市や貿易港を育んだ世界文明の神経である。陳列品が辿ってきた文化交流の道すじに思いをはせる場を提供することが、当館の文化交流展示室の重要な目的なのだ。教科書で見た名品を辿るのも良し、自分の好みの分野を回るのも良し、自由に、興味のおもむくままに文化交流の道を散歩していただきたい。」とあり、この文言にある通り、日本の古代史から順を追って文化的な発展を遺跡から発掘された遺物で追っていくのではなく、朝鮮半島、中国、琉球、日本国内の諸地域の文化的な相互作用がどのように起こり、変化や発展が起きていったか、そしてそれぞれの地域で独自のものとしてイノベーションが起こっていったかということが分かるような工夫をしていました。  千葉県佐倉市には国立歴史民俗博物館があって、日本古代に関わる文化的な交流を示す北九州及び島しょの遺跡や発掘された石器、土器、青銅器等の展示を行っていますが(現在、古代史に関わる展示室はニューリアルのため閉鎖中)、九州国立博物館はそうした考え方を文化交流展示室において、全展示で徹底しているように思われます。  この日、九州国立博物館では、螺鈿(らでん)展を開催していました。螺鈿は奈良時代に中国から日本にもたらされ、漆工芸(もともとは木工芸であったという解説もあります)に貝の内側の真珠質で美しい文様を表現する技法であることは、工芸生の皆さんは私より詳しく先生方から教えてもらっていたり、自分で調べたりして知っていると思います。今回の螺鈿展では、日本の螺鈿工芸作品だけを展示するのではなく、中国や朝鮮、琉球、アジア各地の螺鈿工芸作品を展示することで、螺鈿を通した文化交流に視点が当たるように工夫しているように思いました。螺鈿技法のルーツがどこにあるのかについても、いろいろと研究されているようですけれども、技法が伝わった各国、各地において、その国の人々が好む文様、美しいと感じる文様が表現され、現代に生きる私たちがそれを比べてみることで、螺鈿の発展、変化が感じられることはとても興味深く感じました。 NPO法人京都古布保存会主催の「第七回 帯留めコンテスト」にて、全日制アートクラフト科3年の加藤由季さんが高校生部門奨励賞をいただきました。 画像は受賞作品の、加藤さんが制作した帯留めです。 3学期は1年間の総仕上げです。   卒業、進級に向けて頑張りましょう。   平成29年1月給食メニュー 2017年1月に個別対応できるスケジュールを記載した、 校内見学のカレンダーを掲載しました。ご覧ください。 見学希望の方は、必ず事前に電話でご予約をお願いします。 カレンダーの○がついている時間帯が見学可能日です。カレンダーの画像をクリックすると別ウインドで大きく表示されます。 校内見学のご予約やお問い合わせは、 電話:03-3814-8755(代表)で 9:00~17:00まで受け付けております。(休日・祝日を除く)