2018
03.23

ありがとう、そしてつながっている(修了式校長講話)

去年の修了式のときに話したことを覚えていますか。もちろん一年生はいなかったので、知るわけがないですが、上級生は覚えている人もいると思います。今年度の作品を制作するにあたって、「思いを形にしてください」、特にいくつか制作する作品の中に「感謝の思いを形にしてください」ということのお願いをしました。今年度の実習を思い返したときに、感謝の思いを込めた作品をつくることはできたでしょうか。

いきものがかりの「ありがとう」の歌詞の中に、

 

 ありがとうって伝えたくて あなたを見つめるけど

   繋がれた右手が まっすぐな思いを 不器用に伝えている

 

というフレーズがあり、とても好きな歌詞です。

「ありがとう」は魔法のことばで、人間関係のぎくしゃくや、わだかまりをスウっと解決してくれます。ことばで伝えられない「ありがとう」を皆さんは作品を通じて伝えることができる。もし今年度「ありがとう」の思いを作品に託せなかった人がいたら、来年度何か一つでいいですから取り組んでください。

 

さて、私は、一昨年も昨年も都立工芸高校の校長として、全国のいろんなものづくりやデザインの研究会に出席してきました。一昨年の夏、全日制デザイン科の全国大会で岐阜に行ってきました。その時にアートディレクターの水谷孝次さんという方のお話を聞く機会をもつことができました。この方は1980年代に広告のポスターのデザイナーとして大活躍するとともに非常に高い評価を受け、世界的な賞も受賞した方ですが、現在「デザインは奇跡を起こす」という考えの下、メリープロジェクトということに取り組んでいらっしゃいます。このプロジェクトは子供の笑顔の写真を傘にプリントして、世界中に発信し、幸せの輪を広げていくという取組です。取組の中身は興味がある人はウェブで検索していただければよいのですが、この方のお話を聞いて、一番感動したことは、この方の「人とつながっていこう」、そして「つながることが幸せに結びつく」という強い信念と行動力でした。

 

私たち大人もそうですが、どんなに正しいことを考えていても、どんなにすばらしいアイディアをもっていても、人とつながることができなければ、そのアイディアは日の目を見ることはありません。でも率直に言って、自分の思いや考えを相手に伝えることはなかなか難しいことです。特に工芸の生徒たちは自分の作品の世界に入ってしまうことはできても、自分のアイディアを広げていくこと、他の人とつながっていくことを苦手としている人が多いように思います。「思い」や「考え」をつながっていないので伝えられなくて、その伝えられないことを正当化するために、周りが自分のことを正しく評価しないことに不満をもつ、あるいは周りの理解力が足りないから自分のことを分かってくれないと考える。こうした思考法をしている人はいませんか。この思考法は山月記の李徴と同じで、最後は虎になって自滅していく他ないのです。

 

どんなに不器用でもよい、うまくいかなくてもよい、でも、つながろうとチャレンジすることが、周囲の自分に対する考えを変え、今、たとえ困難な状況に陥っていたとしても、絡み合ったくつひもがほどけるように、解決につながっていきます。「いきものがかり」の歌詞にあるように「まっすぐな思いを 不器用に伝えている」人、「伝えようとしている人」を、世の中の人が放っておくことはありません。来年度の私から皆さんへのお願いは、「つながろう」とチャレンジすることです。

 

春休みはあっという間に過ぎることでしょう。そして4月がやって来ます。新入生も入学してきて新年度がスタートします。良いスタートが切れるように、春休みを有効に使うこと、生活規律を乱さないことをしっかりと守ってください。

 

2018
03.14

和風総本家による職人体験御礼

 私は、和風総本家(テレビ大阪制作)の番組を通して鵤工舎様での体験をさせいただいた3名の高校生の一人が通学している東京都立工芸高等学校の校長、鳥屋尾と申します。番組を視聴し、3名の高校生に職人の仕事を体験する機会をお与えいただき、また厳しくも温かい御指導をいただいたことに御礼を申し上げたいと思い、お便りさせていただきました。

 棟梁の小川三夫先生からは「頭でっかちにならないように。頭で考えるのではなくて体で覚えることだから」「頭が先にいくと苦しいことがいっぱいある」などの御指導をいただいている様子を拝見することができました。

 また、舎主の小川量市先生からは、自らノミと鉋を使ってみせていただき、道具の手入れの大切さを教えていただきました。「課題を見つけて一つ一つクリアしていけば楽しい。どんな職業だってそうだ。始めは怒られる。自分のものにしないと」といった御指導もいただきました。

 さらに働いている職人の皆様から、励ましや仕事としてやっていく上でのアドバイスをいただきました。

 実際に皆様が働いている現場で、憧れの名人からいただいた言葉は、生徒たちにとって心の奥底まで響くものであったに違いありません。彼らはこれまで高校の実習授業の中でも、様々な指導を教員から受けて来ています。しかし、実際の作業に取り組んでいる場所でお話しいただいた重みは、何にも代え難い経験でありました。

 しかし、今回体験させていただいた生徒たちだけでなく、参加した3名のそれぞれの高校の生徒たちをはじめ、全国の工業高校の生徒たちが番組を通して、先生方や職人の方々の謦咳に触れることができ、御指導や思いを聞くことができたことを、私は御礼申し上げたいです。本校生徒が番組の終わりの方で、「木を加工することだけではなく、普段の生活のことがすごく大事だと強く感じた」と話していましたが、体験を通してのそうした気付きを、番組を見た生徒たち全員が共有できたことを御礼申し上げたいです。

 都立工芸高校に在籍している生徒の中にも、ものづくりに対する姿勢と普段の生活とを切り離して考える生徒もいます。また、自分がやりたいことが大事で、それを実現するためには、多くの人の助けや協力をもらうことが必要であることに気が付かないものもいます。もしかしたら、全体がつながっていることに気が付かないこうした考え方は、現在の日本全体を覆ってしまって、この国のとても大事なことを大きく損なってしまっているのかもしれません。

 ものづくりを目指す若者は日本中から減っているけれども、入学してくる若者たちに大事なことがきちんと伝えられないまま、大学やものづくりの会社に送り出すようなことがあってはいけない、私たち高校教育に携わっているものが、生徒たちの指導に関わる中で襟を正していかなければならないと考える機会をいただきました。

 鵤工舎様のますますの御発展と皆様の御健勝を心よりお祈り申し上げます。今後も何かの機会があれば高校生を御指導下さい。どうぞよろしくお願いいたします。

2018
03.14

第70回卒業証書授与式校長式辞

 春弥生、この良き日に、都立工芸高等学校を巣立っていく卒業生の皆さん、御卒業おめでとうございます。
また、卒業生の門出に際して、御来賓の皆様、卒業式に御出席いただきありがとうございました。保護者の皆様も、お子様の卒業式での晴れ姿を御覧いただき、喜びもひとしおのことと拝察いたします。教職員を代表し、心よりお祝い申し上げます。

 さて、卒業生の皆さんは都立工芸高校でいろんなことを学んだと思います。私は高校でしか学ぶことができないことを、星を例えとしてお話することにしています。
 今から1万年以上前、メソポタミア地方で麦の栽培が始まり、獲物を探す必要のなくなった人々は空を見上げて、星があることに気が付きました。星は毎晩少しずつ向きを変え、三百六十五回太陽が昇って沈むことを繰り返すと元の位置に戻ることにも気が付きました。また、中には天空の一点の同じ場所に存在する星があり、その星の周りをいつもめぐる星と、全く無関係の動きをする星の存在にも気が付きました。なぜいろんな星があるのだろう。太古の人々は、星たちの複雑な動きに世界を支配する真理、法則、普遍性、創造主の意思があるからと考えました。その真理を見出そうと人々は、幾世代にもわたって星を観察する努力し続けました。

 太古の人々と同様に、真理や法則、普遍性を探し求めることこそが、高校時代に一番学ぶべきことであり、それは、高校時代が人生の中で唯一、些末な現実から離れて、自分の可能性と未来を信じて毎日努力し続けることができる時期であるからです。太古から現代にいたるまで、人類は真理や法則、普遍性を探し求め、あらゆる文明、科学、宗教や哲学を生み出し、発展させ、歴史を刻み続けるとともに、これからの人類の進み行く道筋を思索してきました。同じことを一人の人間の人生にも置き換えることができ、それは高校時代に考えたこと、経験したこと、身に付けたことが、その人の人生に決定的な意味をもち、これからの人生を生きていく源(みなもと)となることである、そんなふうに私は考えています。高校でしか学ぶことができないこれらのことや勉強をしていく中で身に付けていかなければならないことで、皆さんは都立工芸高校で時には悩みながら、苦しみながら過ごしたかもしれません。

 高校を卒業した後に、皆さんがこれから進学先や就職先で遭遇するのは、真理や法則、普遍性の探求とは程遠い、具体的で些末な出来事が連続する現実社会です。高校の時にすでにその多くを経験した人もいるかもしれませんが、さらに多くの生きていく上で乗り越えていかなければならない、こまごまとした現実が目の前に出現してくることでしょう。
 しかし、真理や法則性、普遍性について考えをめぐらし、これからの人生の生き方に自分なりの答えを見出した、あるいは見出そうとしている皆さんがこれからなすべきことは、一見矛盾するようですが、このこまごまとした現実社会を、どうやったら居心地がよくて、幸せを感じることができ、暮らしやすくて、癒されることができるように、変えていくことができるか、ということです。そして、そのことを自分の問題としてだけではなく、社会全体の問題として解決を図っていくことこそが、都立工芸高校卒業生が取り組んでいかなければならないミッションであると私は考えています。

 最近のニュースで報道される事柄は、決して人間の将来がバラ色であると感じさせるものばかりではありません。中には、私たちの生活を脅かし、社会を混乱させてしまうものも含まれて、特にコンピュータやネットワーク、技術の発達は人々を幸せにもするけれども、人間の生存を脅かすことにもつながっていくことでしょう。

 こうしたことを踏まえながらも、やはり私は、ものづくりは人類の進歩と福祉につながり、美しいデザインは人々を幸せにするものと考えます。そして都立工芸高校を卒業する皆さんは、世の中の人々を幸せにするミッションをもって卒業し、工芸高校で学んだものづくりとデザインの力で、世の中の幸せをつくり出すことができる人となって欲しいと思います。自分自身が幸せになるのは当たり前で、自分だけでなく他の人々も幸せにすることができる、皆さんは、そんな力をもっていると心から信じています。皆さんは世界の幸せをつくり出す人であり、幸せをデザインするのが都立工芸高校の卒業生の役割です。

 卒業後はそれぞれの道に進む皆さんですが、進路先では様々な人たちと出会うことと思います。中には、都立工芸高校を卒業した先輩がいて、皆さんが勉強する上で、あるいは仕事をしてく上で様々な相談相手となってくれることでしょう。私は皆さんにもそうなっていってくださることをお願いします。そして、なによりもそれぞれの進路先で御活躍されることを心よりお祈り申し上げます。

 保護者の皆様、お子様は工芸高校を卒業し、自分で自分の生きる道を切り開いて行こうとしています。そしてしっかりと進んでいこうとしています。頼もしくもあり、一方で不安でもありますが、新たな道を歩み出した彼らを祝福したいと思います。
 結びに、お子様をこんなにも立派に育てられた保護者の皆様に、心より敬意を表するとともに、これまで都立工芸高校の教育活動に御理解と御協力をいただきましたことを厚く御礼を申し上げて、式辞といたします。

2018
03.05

2018卒展

3月2日から3月4日まで東京都美術館で開催した2018卒展には、4500名もの方々においでいただき、本当にありがとうございました。開催期間中は春の日差しがあたたかく上野の森を照らすとても良い日和となり、卒業生の3年間の努力を祝福しているかのようでした。

各科とも例年以上の作品の出来であったと思いますが、全体から受けた印象と感想をいくつか書いておきたいと思います。

試行錯誤の末に完成にたどり着いた作品が多かった。最初に考えたことや思いついたことを、実際に作品化していくにあたって、ああでもない、こうでもないを繰り返しながら制作し、完成度を上げていった作品が多く、ディテールへのこだわりが例年以上であった気がしました。ちょっと見たときは気が付かないところまで、しっかりと作り込んでいるので、その意味ではプロ好みの作品に仕上がっていたと思います。言い換えるとバランスが良く、見たり手に取ったりしていると不安感を感じることがあまりありません。使い勝手が良さそうだし見やすかったり、温かい気持ちになったりするような作品が数多く展示されていました。一方で作者のエネルギーが爆発したような作品、たとえば何かの怒りを思い切りぶつけたような作品はあまり見当たらず、高校生の作品に純粋な若者のエネルギーを求めている人にとっては、物足りなく感じるかもしれないと思いました。

視覚的な心地よさをどう形にするか、工夫している作品が多かった。インスタグラムなどのSNSの普及が、生徒たちの作品づくりに影響しているのかもしれないと感じました。美しい作品、見ていて気持ちよくなる作品、写真にするととても見栄えがいい作品が、現在の社会では売れやすいに違いなく、そうした作品をつくることができるかどうかが、クリエイターやデザイナーに求められている能力なのかもしれません。あわせて映像作品もやや多くなったような気がしますが、作品数を去年と比較しているわけではないので、印象に過ぎないかもしれません。ただ映像の中でどうやったら作り手の思いを形にできるか、必死に模索する様子が感じられました。

はみだそうと試みる作品が多かった。工芸高校の各科ではそれぞれの科の専門的な学習内容にもとづく実習をおこなっていますが、そこから飛び出して自分がつくりたいものに挑戦しようとする姿勢の作品もいくつかありました。実は、今年度最後の学校運営連絡協議会で、各科の作品が似通ってきているのではないか、という御指摘もいただきましたが、科で学ぶ技術や知識をしっかり踏まえた上で、新しいことに挑戦したり冒険したりすることも大事だと思います。

自分は気が付かないかもしれませんが、高校生のパワーはとても強くて、今回の卒展でも卒業生の作品から伝わって来るパワーはとても大きいものでした。卒展を目標にがんばってきて、やり切ったと感じている人と、展示までこぎつけたけれども完成には程遠いと感じている人と、それぞれ感じ方はいろいろと思います。私は卒展が完成である必要はないと考えます。卒業制作、課題制作を通じて、必ず自分の技術的な問題、発想方法や企画力の問題など、1,2年生のときには気が付かなかった問題に直面したと想像しています。卒業制作、課題制作からさらに自分の新しい道が始まる、そんなことを卒業生が感じていて欲しいと思っています。

2018
02.19

「仮想通貨」「平昌冬季オリンピック」「ものづくり、デザイン」

1月末に起きた580億円分もの仮想通貨流出事件の報道が、その後も繰り返しなされています。

580億円という金額があまりに巨額で実感が湧いてこないだけでなく、誰が仮想通貨を盗み出したか分からない、盗まれた金額がどこにいったか分からないなど、分からないことだらけの事件ですし、仮想通貨に投資していない人にとっては、あまり関係ないと気にも止めないと思います。580億円がいかに巨額かといったことについては、インターネットを検索するとすぐにヒットして、スカイツリー1本分とか、牛丼15万年分とか、ありがちだけれども全く比較できない例がアップされていたりもします。今回の事件の舞台が仮想通貨取引所のコインチェックであるということを聞いて、テレビで最近コマーシャルを始めたあの会社のことかと思い付き、ビットコインの名前は知っていてもNEMという仮想通貨があるんだと初めて知り、謝罪会見に出てきたコインチェックの社長をはじめとする幹部社員がみんな20代の若者であったことも驚いた人もいるのではないかと思います。

そもそも仮想通貨とは何か。やはりインターネットで検索をかけると、「素人でも分かる仮想通貨」だの、「○分で仮想通貨を理解できる」だの、私と同じような仮想通貨の知識が全くない人のためのウェブサイトが、それこそ「ごまん」どころではなく0.3秒で250万件もヒットします。それらをざっと目を通すと、仮想通貨が草分けであるビットコインについて「ナカモトサトシ氏」の理論がインターネット上に公開されたのが、2008年のことで、実際のビットコインが発行されたのが2009年であるということが分かります。仮想通貨とは、現在のところは原則としてインターネット上でのみお金として通用する貨幣である、というのがウェブサイトを読んだ私の拙い理解です。インターネット上でしか通用しないけれども、インターネットは全世界に広がっているので、仮想通貨は全世界で通用する貨幣になっている、ということのようです。また、インターネット上だけではなく、店舗においてビットコインを貨幣として使えるようにしたお店が出現しつつあるということも分かります。10年が経過しないうちに、すでに仮想通貨の種類は6000種類(ウェブサイトによって数のばらつきがありますが、一番仮想通貨数が多かったのはこの数字です)を超え、時価総額は昨年末で60兆円だそうです。インターネット上の通貨であるので、具体的な形としてお札であったり、コインであったりするものではなく、データとして数字を見ることはできても、実際に目で見たり、手で触ったりする私たちの生活に馴染んだ「お金」ではありません。今年度も国際コイン・デザイン・コンペティションにおいて、全日制アートクラフト科の3年生が審査員特別賞を受賞し、その受賞伝達式に造幣局の方が都立工芸高校に御来校いただきましたが、もちろん仮想通貨にはコインとしてのデザインがあるわけではありません。

こうした見えないもの、触れないもの、形のないものがインターネット上の仮想空間で誕生し、大勢の人たちによって支持されて、世界のイニシアティブをとっていく時代になっているのかもしれません。

21世紀に入ってから20年も経っていないのにもかかわらず、コンピュータのネットワークの発達を背景として、新しい投資システムによって巨額な利益を生み出そうとする試みがいくつも生まれました。そして初期投資をした人だけが利益を上げ、後から「儲け話」を追いかけた人たちが大きな損失を被っているということは考えておく必要がありそうです。その典型がアメリカで起きたサブプライムローン破綻で、投資先を求める人たちが仮想通貨になだれ込むと、国境を越えた自由な通貨としての仮想通貨本来の機能とは別に、投機先としてでしか扱われずに、他の投機の対象となっていった金融システムと同じ運命をたどっていくことも考えられなくもありません。仮想通貨は、新しい通貨システムとして既存のシステムにとって代わるかもしれない、あるいはこれからの起きる可能性がある通貨危機を乗り越えることもできるかもしれないなど、期待は大きく膨らみますが、十分に機能する前に終わってしまうこともあり得る、という心配も起こります。

工芸高校で行っている実習はものづくりとデザインですので、こうした世の中の趨勢とは逆方向をいっているのかもしれません。しかし、見えないもの、触れないもの、形のないもの、インターネットの中でしか存在しないシステムが、どんなに広がっていったとしても、そのことがそのまま世界の人々に幸せをもたらすことができるとは考えにくいです。確かに工芸生がつくったもの、デザインしたものを世の中の人に広く知ってもらうためには、インターネットを活用することは必須ですし、将来自分の作品を多くの人に買ってもらうためにインターネットの特徴を利用していくことはとても大事になってくることでしょう。私たちがものづくりやデザインによって、実際に手に取れるものをつくろう、毎日の生活の中で普段使いして、便利に感じるものをつくろう、目で見て美しいと感じるもの、心がなごみ癒されるものをつくろうとしていますが、こうした姿勢こそが、工芸高校の真骨頂であり、世界の人々の幸せをつくりだすことできるのではないかと思います。

韓国の平昌で冬季オリンピックが始まりました。私も日本人選手の活躍を応援し、金メダルを取って欲しいと心から願っています。テレビやインターネットの報道を見たり読んだりすると、メダル候補の選手たち、メダル候補とはなっていない代表選手たち、さらにオリンピックを目指して代表に選ばれなかった選手たちが、いかに骨身を削って努力をしてきたか、他の選手と競い合うだけでなく、自分自身を乗り越えるためにがんばってきたかが伝わってきます。しかし、それ以上に、選手を支える家族が、あるいはコーチングスタッフが、あるいは地域や事業団の人たちが選手と同じように、時には悩み苦しみながら競技結果に一喜一憂しつつ、がんばってきていることです。人ひとりを世界で通用するアスリートに育てることは、並大抵のことではないのでしょう。スポーツの世界をそのまま、ものづくりやデザインのスペシャリスト目指す工芸生に置き換えることはできないかもしれません。けれども、きっと工芸生も、家族や先生たちに支えられて骨身を削って努力し、自分自身を乗り越えるために努力をしていることと思います。このことはインターネット上の虚構空間で瞬時の投機によって巨額の利益を上げたり、損失を出したりするのとは全く異次元の、長い時間をかけた先が見えない努力の連続だと思います。工芸生にはアスリートたちと同様に、苦しいこともあり、生み出すことの努力が必要なこともあることでしょう。しかし、こうした若い人たちの努力こそが、世の中で最も大事で尊い行為であるとともに、世の中の人たちに幸せをもたらすと信じています。そして、私たちはそれを全力で支援していくことが、使命であり役割であると考えながら毎日を過ごしています。

2018
01.22

「ニッポンのミカタ」を見て感じたこと

1月12日(金)の夜、テレビ東京で放映された「ニッポンのミカタSP 潜入!秘境 東京藝術大学」を見た方も多いと思います。ビートたけしさんと国分太一さんがキャスターで、番組ではゲストと一緒に東京芸大の鍛金や仏像彫刻の研究室を訪問し、取材するだけではなく鍛金の体験をするといった内容でした。ビートたけしさんが鍛金の丸山智巳先生の作品(高さ125cmのボクサー像)を200万円でその場で購入するといったこともありましたし、森茉衣子さんという学生の「藝大アーツイン丸の内2017」で表彰されたオブジェ「街」という作品の紹介もありました。また、仏像彫刻の第一人者の籔内佐斗司教授を取材し、仏像修復の様子の様子も放映されました。室町時代の木造阿弥陀如来立像だと思って修復していたところ、仏像のお顔が後の時代に手が加えられていたことが判明し、表現技法等により鎌倉時代の作であることが分かった、といったエピソードの紹介もありました。

東京芸大については、以前どこかで紹介しましたが、「最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常(「二宮敦人」新潮社)」という本があり、東京芸大で学んでいる学生たちのとてもユニークな実態や学生生活がとても分かりやすく描かれています。東京芸大を受験すると、どんな入学試験があるか、ということも書いてあります。例えば平成24年度の絵画科油絵専攻の第二次実技試験の問題は「人を描きない。(二日間)」であることや、平成27年度の同じく油絵専攻では「折り紙を好きな形に折って、それをモティーフにして描きなさい」と出題されたことが紹介されています。そして試験にどんな人が合格していて、どんな学生生活が送っているのかということについても、インタビューを交えて具体的なエピソードを取り上げながら紹介しているので、東京芸大のことをいろいろと知ることができる本になっています。

今回、テレビ番組の映像として流れたので、書籍に書かれた文字では分からない東京芸大の構内の様子を見ることができました。鍛金の実習室が思いの外、明るくてきれいな部屋だったことに驚きを感じました。本校地下1階の鍛金室よりももっとおどろおどろしい部屋で金づちを振るっているのに違いないと勝手に想像していました。でも、全体として画面から受ける東京芸大の印象は、何かとてもまっすぐで清々しいオーラが醸し出されている大学でした。そして、都立工芸高校で勉強していることを、さらに突き詰めて勉強しようとして大学を選んだときに、こんなキャンパスで実習ができるなら、とてもすばらしいという受け止めをしました。本校から多くの生徒たちが進学する他の美術大学も、きっと同じような雰囲気やオーラをもっていることでしょう。番組のゲスト(中畑清さん)が体験した鍛金の技法は、当たり前ではありますが、アートクラフト科で生徒諸君が学習しているものと全く同じでしたし、仏像彫刻を学んでいる学生が所持しているのみ等の道具類は、インテリア科で生徒諸君が使っているものと共通のものも多々あるようでした。工芸高校で勉強したことをさらに継続して深めていくのに、やっぱり東京芸大はいいなあとテレビの画面の前で思っていまいましたが、東京芸大はなかなか入れてもらえない大学です。今年度も東京芸大を目指して努力している生徒たちが何人もいますので、心から健闘を祈っています。

なぜ、工芸やデザインを学ぶのか、工芸やデザインを学ぶことに一体どんな意味があるのか、工芸高校生であれば、一度は考えることになるテーマであると思います。絵を描くのが好きだから、ものづくりをするのが好きだから、というのは工芸高校を選択する動機としてよく聞く理由ではあります。「最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常」の中にも「絵が描きたくて仕方がない。高橋さんや佐藤さんからは、好きという気持ちが生み出す無尽蔵のエネルギーがびりびり伝わってきた。」という表現がありますが、この「好き」ということが、多くの工芸生ががんばっているエネルギーの源泉となっていることは間違いないでしょう。しかし、一人一人の工芸生が自分自身を振り返ってみたときには、「好き」の中身は人それぞれでありますし、ただ「好き」ではない思いをもっている人も少なくないように感じています。これまで先輩たちがつくった作品よりも自分はさらにより良い作品をつくっていこうとか、これまで誰もつくったことがないものを自分はつくってみようとか考えている、多くの工芸生のもつ制作姿勢には、「好き」に加えた「プラスα」がたくさん存在しているように強く感じられるからです。

「プラスα」を含めて、早い時期から自分なりに作品制作に打ち込む理由や答えを見つけることができる人もいるだろうし、全く答えが見つからずに大人になっていく人もいるでしょう。見つからなければ見つからないで全く気にしない人もいるに違いありません。ただ、作品制作において、いろいろと悩んだり苦労したりすることにより、生徒は自分と向き合う体験が必ず出てくる。そして、自分で自分を乗り越えていく努力をしていると思います。こうして悩んだり、苦しんだりして成長していくからこそ、つかみ取ったこと、獲得したことは何にも替え難い貴重なもので、在学中に得ることができる大きな財産であるように感じます。卒業後の大学等の進学先や就職した会社でがんばっていくことができるのは、在学中に成長の過程で獲得した何かがあるからではないか、そんな気がしてなりません。進路ガイダンス等で体験を聞いてみると、それが何であるのかを卒業生たちはうまく言葉にできないでいたり、あるいは言葉にしてみるととても平凡なものになってしまったりしていて、在校生に伝わらないことが多いです。でも、人それぞれが在学中に経験して何かを獲得していく過程がとても大事であるような気がしています。

「ニッポンのミカタ」の中で紹介された森茉衣子さんの「街」という作品は、表から見ると表題通りの街のミニチュアですが、作品を下から覗くと108人の様々な表情をした顔がLEDライトで照らされて、一種異様な雰囲気を醸し出しています。この表から見えない顔こそを森さんは表現したかったのではないか、そして表現者である人たちはみんなこうした表から見えない顔をもち、そこで感じる喜怒哀楽を作品で表現しているのかもしれない、あるいは自分にしかわからない制作理由を内側に秘めながら作品づくりに取り組んでいるのかもしれない、そんな気がしながらテレビを見ていました。

 

2018
01.11

人間ができることは何か(3学期始業式校長講話)

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
 皆さんは、お正月をゆっくり過ごせたでしょうか?
 私は、テレビで毎年恒例の歌番組やお笑い番組をしっかりと見ましたが、年末の2017年を振り返る番組、新年の2018年の様々な予測や見通しをテーマとした番組をいくつか見ました。新聞やインターネットでも同様の内容がたくさん出ていました。こうした報道やインターネット掲載の記事を見る限り、2017年がそうであったように、2018年も政治や経済において、あるいは社会全体において、いろんな事件が起こるのではないかと予測しています。国際社会においても戦争や紛争が解決されないまま継続され、また、地球温暖化に伴う異常な気象や災害も起きるのではないか、そんな気がしてちょっと暗くなりました。
 そんな中で、さらに今年も一層問題として先鋭化していくこと、私たちが考えていかなければならないことは、「人間ができることは何か」ということで、このことが繰り返し問われるようなるに思います。コンピュータとAIの発達によって、ますます人間の創造性や発想力、コミュニケーション力が求められるに違いありません。そして、発達してきているコンピュータやAIをどのように使うのか、どのように使って人間の文明を進歩させていくのか、その発想が求められてくるに違いありません。その答えは、どこか教科書に書いているわけではありません。年末の校長ブログには、絵本を大ヒットさせたキングコングの西野さんの話を紹介しましたが、答えを自分で見つける力がますます求められて来るように思います。
 これまで以上に、新しい時代にふさわしい新しい発想が求められる年になる、今年はそんな年であるように思います。そして、そうした発想が身につくには、学校の勉強も含めて、必要な情報を自分から積極的に求めていく姿勢や、将来のために自分の知識と技術を磨くことがとても大事であると思います。何をするにせよ、基礎基本が理解できていなければ何もできず、汎用性、応用がきく学力と技術が絶対的に必要な時代にますますなっていくと私は考えます。今年も毎日の学校での勉強や実習を大事にして欲しいと思います。今年が皆さんにとって飛躍の年となることを願っています。
 そして、新しい年ではありますが、今日からは今年度の締めくくりの3学期でもあります。全員の生徒諸君が卒業し、進級することを期待しています。がんばりましょう。以上です。

2017
12.26

韓国の高校生たち(2学期終業式校長校講話)

 先週、韓国からのお客様が2グループ、工芸高校の見学に来ました。1つ目はいくつかの学校が集まって見学に来た木材加工を学習しているグループ、2グループ目は単独の工業高校で機械科の生徒たちでした。さらに2月には別のデザイン系の韓国の高校が工芸高校に見学にやって来ます。
 韓国の生徒たちは、工芸高校の生徒のつくった作品にきわめて強い関心を示しました。展示されている作品を、どうやってつくったのかをとても知りたがり、どんな道具、どんな工作機械を使って、どんな素材でつくるのか、接合はどうなっているのか、仕上げ加工をどのようにしているか、熱心に質問しました。その熱心な様子から、実際に一生懸命に実習を学んでいることが想像でき、かつ、美しいものをつくろう、良いものをつくろうという思いは、韓国の生徒も一緒だと感じました。
 韓国の生徒たちには、それぞれに得意な分野があり、CADライセンスをもっている生徒もいれば、旋盤の検定をもっている生徒もいて、得意な分野に関わる工芸高校生徒の作品に強く興味を示しました。CADライセンスをもっている生徒は、図面を一生懸命見ていましたし、旋盤の検定をもっている生徒は、地下一階のM科の施設をしっかりと見学していったようです。そうした韓国の生徒たちにどんな検定やライセンスがあるのか、どんな実習をして技術を学んでいるか聞いてみたところ、工業技術の基礎的な学習はほぼ一緒だと感じました。日本にはJIS規格があるように、韓国にはKS規格があり、国際規格に基づいた工業高校生の資格検定が行われていました。これからの時代、技術者の交流が進んでいくと、工芸高校卒業生がどこかの現場で、韓国で資格を取得した韓国の若者と作業を行うことになるかもしれません。韓国だけではなく、台湾や中国、アメリカといったそれぞれの国で実施している国際規格に基づいた資格を取得した若者たちと一緒に、同じ現場で同じ作業を行う時代が来るように思います。
 なぜ、韓国の高校の生徒たちが工芸高校に見学にやって来るのか。おそらくそれは韓国では高校生たちに、海外の同世代の高校生たちの様子を見学させ、刺激を受けさせ、技術や知識を身に付けることの必要性を、自覚させようとしているからだと思います。まず自分を高めていかなければ、将来、韓国の産業が国際競争に打ち勝って、生き残っていくことができない、そうなれば仕事がなくなってしまうという強い危機感があるように感じました。
 また、韓国の同じ文化の中で学習するだけではなく、異文化の同世代の若者が、自分とは異なった発想や感性でものづくりに取り組んでいることも、分からせようとしたように思います。同じ文化の中だけでものづくりをしていると、異文化圏の発想や感性を想像できなくなってしまう。隣国である日本の高校生たちの発想や感性を見せたいと考えたのでしょう。
 では、見学を受け入れた私たち工芸高校の生徒諸君に、同じような危機感はあるのかというと、ある人もいると思うし、無い人もいるように思います。知識や技術をきちんと身に付けなければ、将来自分に仕事が無いかもしれないという危機感をもち、授業や実習に臨んでいる人ばかりではなさそうです。また、異文化の外国で、ものづくりやデザインを学んでいる若者たちが、どんな発想や感性で作品づくりに取り組んでいるのかについても、海外のいろんな情報に敏感な人とそうでない人がいるように感じます。
 工芸高校は、多くの生徒がまじめに勉強している学校で、資格やコンペでも成果を上げてきていますし、卒業時に希望の進路先を決定しています。しかし、欲を言えば、工芸生には、これからの時代を世界の若者たちと一緒につくっていこうという気概や、自分がつくったもの、デザインしたものが世界中の人々に使われるようになろうというような志をもってもらいたいと、韓国の生徒たちと話しながら思いました。

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