2017
02.20

言葉の力

日本には古来「言霊(ことだま)」という信仰がありました。全ての言葉には「霊」が宿っていて、良い言葉には良い霊が宿っており、悪い言葉には悪い霊が宿っていると信じられていました。だから、健康を祈ったり無事を祈ったりするときには、良い言葉をたくさん言い、多くの恵みをもたらすように大地にお願いするためには、高い山に登って良い言葉を大地に投げかける、ということが行われていました。

良い言葉を大地に投げかける代表的な例が、万葉集1巻の2番目にあります。

『天皇の、香具山に登りて望国(くにみ)したまひし時の御製歌

大和には 郡山(むらやま)あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原は 煙(けぶり)立つ立つ 海原(うなはら)は 鷗立つ立つ うまし国そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は』

という舒明天皇の歌です。

舒明天皇は7世紀前半の天皇で、初めての女性天皇である推古天皇の後を引き継ぎました。舒明天皇の子供には大化の改新の中心となった中大兄皇子(天智天皇)や、壬申の乱後に即位した天武天皇がいます。

天の香具山(あまのかぐやま)は天から降りてきた山ともいわれる大和の国の最も格式の高い山で、小倉百人一首の持統天皇「衣ほすてふ天の香具山」の歌でもお馴染みだと思います。天の香具山から大地を見渡して、舒明天皇は「大和の国はすばらしい国」と歌を詠み、良い言葉を投げかけると、その言霊の力で大和の国が素晴らしい国、恵みをもたらしてくれる大地となると信じられていたのです。

こうした言霊を信じる傾向は現代に生きる私たちにも継承されています。幸せや健康を願うために、良い言葉を自分自身に言い聞かせる、あるいは相手に伝えようとする、不幸が起きないように悪い言葉を使わないようにする、そういったことは日常的に私たちが行っていることです。確かに良い言葉、特に心のこもった言葉を相手か言われると、心は和みますし、癒されるように感じられます。人間は言葉によって癒され、救われる生き物であるのでしょう。逆に心無い言葉や悪意がこもった言葉に私たちは簡単に傷つきますし、時には立ち直れないほどのダメージを受けることもあります。こうしたことを考えていくと、言葉にはとても強い力があると考えてよいのではないでしょうか。

さて、言葉の力について印象的な本を最近読みました。国谷裕子「キャスターという仕事(岩波新書)」です。著者の国谷さんはNHKのクローズアップ現代のキャスターを1993年から実に23年間も務めた方です。もともと日本のテレビの報道番組の中において、キャスターという仕事は確立されていませんでした。ニュースはアナウンサーがニュース原稿を正しく正確に読むものであったものでした。それをアメリカ等の報道番組の影響により、「ニュースセンター9時(NHK)」や「ニュースステーション(テレビ朝日)」などが放映され、人気を博して新しいキャスターという仕事と、そのスタイルができ上がっていったように思います。

この著作の中で国谷さんは繰り返し言葉の力、言葉の役割について述べられています。例えば、

『「言葉の力」を信じることがすべての始まりであり、結論だった。テレビの特性とは対極の「言葉の持つ力」を大事にすることで、映像の存在感が高まれば高まるほど、その映像がいかなる意味を持つのか、その映像の背景に何があるのかを言葉で探ろうとしたのだ。私はキャスターとして「想像力」「常に全体から俯瞰する力」「ものごとの後ろに隠れている事実を洞察する力」、そうした力の持つことの大切さ、映像では見えない部分への想像力を言葉の力で喚起することを大事にしながら、日々番組を伝え続けることになった。』

とあります。映像を伝えることがテレビにとって重要な機能であるにもかかわらず、むしろ映像で映し出されたことの意味を説明できるのは言葉しかない、まして、映像に映し出されないけれども重要な意味をもつ部分を表現できるのは言葉しかない、言葉には目で見ることができないことを喚起する力をもっている、と国谷さんは言っています。

こうした言葉の力への自覚は、キャスターといった仕事に携わらない人間にとっても重要なことです。私たちは目で見えることばかりで物事を判断したり、感情を動かされたりしているわけではありません。目で見えないけれども、感覚で感じていることを目に見えるようにすること、相手のことを思いやりその心をすくい取ってわかるようにすること、そうしたことができるのは、言葉の大きな役割であるように思います。そして言葉で、目に見えない心や思いを形にして発することにより、大勢の人を癒すこともできるのです。

目に見えない思いや心を形にする作業は、ものづくりやデザインも同様であるかもしれません。ものづくりやデザインの際に細心の注意を払って、思いや心を形にしていく作業を行っているみなさんは、日頃ぞんざいに使っていたとしても、あらためて言葉のもつ力を考えてもいいように思います。

2017
02.15

東京都美術館に行きました

東京都公立学校美術展覧会を見るために、東京都美術館に行ってきました。都立工芸の全日制から何点か出品していると聞いていたので、どんなふうに展示されているか、また他の展示がどのように行われているか見たいと思ったからです。この東京都公立学校美術展覧会には、私の子供も小学生のときに、何回か出展作品として選ばれたことがあったので、親としてそのたびに見に来ていました。そのころの会場は、東京都美術館ではなく、学校を会場にして実施していたときもあったように記憶しています。親として会場に来ると、自分と同じような大勢の保護者や、子供たちが展覧会を見に来ていて、会場はとても混雑していたという記憶が強いです。
今年も大勢の人が見に来ていて、やはりとても混雑していました。小学校、中学校、高等学校、特別支援学校の児童・生徒の作品が3つの会場にびっちりと展示されていました。おそらく展示を担当された各校の先生方は、とても苦労して限られたスペースに出展作品すべてをどうにか工夫して展示したのだろうと想像しました。これだけびっちりと展示されていると、目当ての作品を探し出すのも大変です。私も自分の子供の作品の展示場所を見つけ出すのに苦労したことを思い出しました。
そうした作品を順に見ていくと、都立工芸生の作品が展示している場所にようやくたどり着きました。他の高校も何校か出品していました。工業高校では北豊島工業高校の生徒の作品が多く展示されていました。高校生の作品も小学生や中学生の作品と同様にびっちりと展示されていたので、もう少し広いスペースがあったら、見る人にもっと好い印象を伝えることができるにと少し残念に感じました。しかし、展示スペースに限りがあるのは仕方がありませんし、そんなことを言うのは実際に展示を担当された先生方に申し訳ないことと自分を戒めました。ただ、びっちりと展示されていましたが、都立工芸生の作品はとても際立っていたように思いました。
さて、東京都公立学校美術展覧会の第三会場を出ると、その目の前では東京都立総合芸術高等学校美術科の卒業制作展を開催していました。せっかくですので拝見させていただきましたが、将来画家やデザイナーとして活躍するかもしれない若者の可能性を感じる作品展示となっていました。大きな作品(例えば油絵など)のすぐ脇には、大きな作品と同じ作風の小さな自画像を並べて展示するところに特徴がありました。展示されている作品の中には、都立工芸で取り組んでいる実習と重なるところが多々あると思いましたが、都立工芸の生徒たちが取り組んでいる「ものづくり」と「デザイン」と全く異なる方向性があるように感じられました。これは、総合芸術の生徒たちの作品は、アートとしての自己表現であるからだろうと思いました。 
まもなく全日制の卒展ですので、全日制卒業生のみなさんには3年間の成果を東京都美術館にいらっしゃった方にお見せできるよう、最後のがんばりを期待しています。

2017
02.09

都立工芸生は作品で勝負する

2月も中旬となりました。全日制3年生は卒展の作品制作の最終段階となってきていますし、定時制4年生は卒業課題制作のため、毎日のように学校に来ています。一方、新入生の入学に向けて推薦に基づく入学選抜が終了し、学力検査がまもなく行われます。
そして、卒業する3年生、4年生を除いた在校生は、それぞれ進級して学年が一つずつ進み(そのための課題制作を完成させ)、上級生としての自覚と責任が芽生えてくる、あるいは芽生えてこなければならない時期となってきました。
では、都立工芸の上級生の自覚って何だろう。
それは1年間(あるいは2年間とか3年間とか)、専門家の先生方から他の高校では教わることができない、ものづくりやデザインの知識や技術の指導を受け、人によってはとても苦しみながらも課題制作に取り組み、少しずつであっても知識や技術を自分のものにしてきた、という誇りやプライドではないかと思います。在校生のみなさんは自分が入学したときのことを覚えていますか。都立工芸に入学してくる人たちは、ほとんどの人が絵を描くことが好きで、得意であることが多く、クラスメートの素質と才能に圧倒されたという人も少なくありません。しかし、実際は入学後の専科の実習では、誰もが一からのスタートで、分からないことやできないことを先生から丁寧に教えてもらいながら、試行錯誤して少しずつできるようになってきました。
今ではやっと、イラストレータやフォトショップ、3DCADが思い通りに操作できるようになってきました。金属や木材、アクリルにガラス、粘土、シリコン、石膏、漆、紙、竹、様々な素材を自分の考えた通りの形にできるようになってきました。そのための工作機械や工具、画材道具を使うことができるようになってきました。ガスバーナーが火を噴いていてもどきどきしません。石膏像やキャベツの断面も鉛筆1本で写し取ることだってできるようになってきました。1年経ってみて(あるいは2年間とか3年間とか経ってみて)、「私って思った以上に才能があるんじゃないの」って心の中ではつぶやいている人もいるかもしれません。それはとても良いことで、みなさんの知識や技術が成長したことの証しです。都立工芸生として、工芸ブランドの一員として、作品で勝負することができるようになってきた、ということです。
上級生になるみなさんは、ぜひこの作品で勝負するというプライド、誇りでこれからの学校生活を続けて欲しいです。残念ながら、みなさんの中には作品で勝負するのではなく、自分の外見や見た目、あるいは自分を物質的に飾り立てること、突飛な行動、時にはだらしない生活態度といったことで、自分を他人から差別化し、その方面で勝負しようとする人がいるのではないだろうか、という心配をしています。誤った自己の差別化は、時として正しいプライド、誇りを変質させ、自尊心の肥大化を招き、先生方の指導をきちんと受け止めようとする謙虚な気持ちや、新しいものを取れ入れて自分を進化させようとする意欲をそらしてしまうことになってしまいます。そしてそれが習慣化していくと、修正がきかなくなり、他からの率直な意見を素直に聞き入れることができなくなってしまいます。
都立工芸生は作品で勝負する、それが都立工芸のプライドであり、誇りである、そんなことを公言できる上級生となることを期待しています。

2017
02.07

パラリンピアンの苦労の一端に触れてみた

私は学校が休みの日には地元のスポーツセンターでスイミングをしていています。1kmを30分かけて泳ぎ、その後15kmぐらいのランニングを1時間半行います。寝不足であることも多いので、泳ぎながら、あるいは走りながら寝てしまうのでなないか、と思うときもあります。実際に走りながらボーとしていて転倒し、ひどいけがをしたこともあります。寝不足で運動するのは危険なので、みなさんはそのようなことをしないでください。
さて、昨年のリオ・オリンピックの後に続けて開催されたリオ・パラリンピックを見て、パラリンピアンの活躍に感動した人も多いと思います。先日、スポーツセンターに行ったところ、障がい者スポーツ大会が行われていて、会場の一角でパラリンピアンが競技で実際に使用した義足が展示されていました。とても興味があるのでしげしげと眺めていたところ、係の方が詳しく説明してくださいました。例えば膝がある競技者の義足は、膝部分にすっぽりとはまるシリコン製のカバーのようなものを装着し、そのシリコン製のカバーに付属している金具でカーボン製の義足を固定するようになっていました。当然競技者全員の体の大きさは異なるので、一人一人に合わせたオーダーメイドで作成するということでした。膝のない競技者用の義足は関節部分が金属で作られていて、(素材が何であるか聞きそびれました。)同じように腿にフィットするように作られていました。両方の義足を持たせてもらいましたところ、想像以上にずっしりと重い。特に膝がない競技者用の義足は相当な重さがありました。「重いものですね」と聞いてみたところ、競技をする際には体のバランスがとても大事で義足を軽くしてしまうと、バランスが崩れて走ったり跳んだりすることができなくなってしまう、ということでした。しかし、健常肢より義肢を少しだけ軽く作ることが多く、その重さのバランスを取りながら競技ができるようになるためには、腹筋や背筋を始めとして全身の筋力の向上が必要だという説明がありました。また、競技内容(跳躍なのか、短距離走なのか、長距離走なのかといったこと)による運動特性に向いた義足が作られているため、その性能を十分に生かすことができるようにトレーニングを行っていくことも大事だということでした。おそらく義足のような器具を使ったパラリンピアンのトレーニングは非常に過酷で、(リハビリが過酷である以上に)体を器具に慣れさせるだけでも大変なのに、その上で競技者として記録に挑戦していくには強靭な精神力も必要であるのだろうと思いました。
義足が一ついくらかというお話も聞きましたが、職人さんのハンドメイドで何10万円以上するものは当たり前であるそうです。カーボンファイバーがとても高価な素材であるということでした。そしてこうした義足を作る職人さん(義肢装具士)は国家資格が必要なのだそうです。専門の会社に勤めていることが多く、注文生産を行っているということでした。義足は一人一人異なるので、使用する人とのコミュニケーションがとても大事だということでした。同じものづくりでも、こうした医療器具のものづくりもやりがいのある仕事なのだろうと想像しました。
東京2020ではパラリンピンピアンの活躍を間近で見ることができそうで、とても楽しみです。義足だけでなく、パラリンピアンが使用する様々な器具類(例えば車いすなど)の技術は日進月歩でどんどんと革新していっているとのことでした。この何年かで新しい素材が使われるなどにより、よりフィット感が高く、使用者の利便性に配慮したものが作られるようになっているとのことです。競技用の器具の革新は、特に競技を行わない人の使用する器具にも応用されるようになり、パラリンピアンの活躍が社会全体にその恩恵を与えていくことは間違いありません。そして私たちは、社会にはいろんな人がいて、もちろん障がいをもっている人もいて、それぞれの分野でがんばっていることが、社会全体を豊かにしていることをもっと知っていく必要があります。そして、そうしたがんばりがきちんと評価される世の中でなければならないと私は考えています。

2017
02.06

プレゼンする力

今からちょうど10年前、2007年1月、アップル社CEOのスティーブ・ジョブズがきわめて印象的な新製品のプレゼンを行いました。
スティーブ・ジョブズは長そでをまくり上げた黒いTシャツを着て、ジーンズを履き、ゆっくりと広い舞台に現れると聴衆に語り始めました。「This is a day I’ve been looking forward to for two and a half years.」一体、何を語り始めるのだろう、2年半も待ちわびていた新製品とはどんな製品だろう、と聞いている人々にとってきわめて魅力的な語りかけでした。スティーブ・ジョブズは続けます。「(日本語訳)数年に一度、すべてを変えてしまう新製品があらわれます。それを一度でも達成することができたならば幸運だ。アップルは何回かその機会に恵まれました。1984年、MACを発表し、PCを変えてしまいました。2001年の初代ipodを発表し、音楽の聴き方だけでなく、音楽業界を変えてしまいました。本日、革命的な新製品を3つ発表します。」聴衆はさらにスティーブ・ジョブズのプレゼンに引き込まれ、MACやipodに匹敵する新製品は何だろう、しかも3つも新製品があるとは驚きだ、ともっと話を聞きなくなります。そして、このあと3つの新製品を発表すると言いながら、実はそれは一つの新製品に組み込まれている機能であることをスティーブ・ジョブズが種明かしし、その新製品が2007年に発表されたiphone でした。
スティーブ・ジョブズは、アップル社が世の中に送り出した新しい情報機器を発表する際に、毎回印象的なプレゼンを行ないました。その技術を学ぼうという趣旨の書籍、ビジネス書、ホームページはたくさんあります。このiphoneのプレゼンもいろいろと分析されていて、どうしてあのようにきわめて強い印象を人々に与えたのか、ということを大勢の人たちが述べています。また、舞台裏情報のようなこともWEB上に書かれていて、例えば、スティーブ・ジョブズはプレゼンを完成させるのに6日間も費やしたとか、実はこのプレゼン段階ではiphoneは技術的に完全ではなく、インターネット回線がすぐに切れてしまうことがあるため、アップル社の技術者が会場にプレゼン専用のwifiを設置していたとかあるようです。
そんなことをすべて含みながら考えても、プレゼンとは何か、どんなプレゼンが人々に受け入れられ、強い印象を与えるのか、目的を達成するための有効な語りかけはどのようにすればよいか、といった観点から見て、スティーブ・ジョブズのプレゼンは多くの人のお手本となるのではないかと思います。
さて、都立工芸では専科の授業を中心にプレゼンの実践が多く取り入れられています。特に3学期は学年末ということもあり、進級や卒業に向けて作品のプレゼンを行うことも多いのではないでしょうか。みなさんの中には人前で話をするのが苦手という人もいると思いますが、何回もプレゼンを行っていくうちにだんだんと慣れてきます。人前で話をするときにはこの慣れるということがとても大事で、練習を行っていくうちに、相手に伝えたいポイントをどうしたら明確に伝えられるか、といったことも次第に身に付くように思います。
皆さんがこれからどんな進路に進んでいくかは人それぞれですが、進学や就職するときに面接ではなく、プレゼンを行うこともあると思いますし、就職後にお得意様相手に制作したデザインの売り込みのため、プレゼンを行なわなければならないこともあるでしょう。みなさんには都立工芸在学中にプレゼンする力を身に付けてもらいたいです。

2017
02.01

第一主義の危うさ

日本は外国の文化を積極的に取り入れている時期と、あまり積極的ではない、むしろ外国の文化を拒絶している時期とが、歴史的に交代しながら起きています。古くは渡来人たちが大勢日本にやって来て、中国や朝鮮半島の文化や技術を日本に伝えた時期や、遣隋使や遣唐使を中国に派遣した時期、近くは明治時代や第二次世界大戦後のアメリカ文化を積極的に受け入れた現在に続く時期は、積極的に外国文化を取り入れる時期でした。一方、遣唐使廃止後の平安時代や、鎖国政策をとった江戸時代、戦前の昭和時代などは、外国を拒絶した時期ということができるかもしれません。
面白いと思うのは、外国文化を積極的に受け入れた時期に日本にやってきた外国の技術や文化が、外国を拒絶した時期に日本独自の技術や文化に進化していくことがあるということです。例えば製鉄の技術は、弥生時代後期から古墳時代にかけて朝鮮半島からの渡来人によってもたらされたと考えられているようですが、日本に多く産する砂鉄を採取して製鉄するたたら製鉄の技術へと進化していきました。そして、たたら製鉄によって生まれた玉鋼(たまはがね)から日本刀が生まれることになりました。日本にやってきた技術が独自の発達を遂げたよい例ではないかと思います。先日の定時制マシンクラフト科の溶接の授業で市民講師の先生が鉄のお話をされ、鋼材の硬度について炭素の割合や「焼き入れ」の説明があり、とても興味深く聞くことができました。たたら製鉄は江戸時代まで製鉄技術として進化し続けながら用いられましたが、江戸末期の黒船の来航に代表される欧米列強の進出に対抗するための大砲の鋳造する際には、たたら製鉄でつくった鉄では十分に丈夫な砲身をつくることができず、すたれていったという記録があります。伝統工芸と呼ばれる分野やその他さまざまな技術分野でこうしたことが日本では起こっているように思います。
さて、アメリカでは新しい大統領が就任し、アメリカ第一主義を唱え、製造業の復活と雇用の拡大を狙った政策を進めようとしています。これまでの政権と全く異なった方向を打ち出そうとしていることから、世界中に困惑が広がっている反面、アメリカ製造業の活性化に対する期待感から、経済活況が生まれる可能性もうかがわれます。しかし一方で特定の国を指定して入国を拒否する政策も打ち出したため、アメリカ経済を支えているIT産業から厳しい反対を受けています。豊かな社会や経済的な発展を進めていくには、多くの異なる考え方をもった国々が協調し、人々の自由な往来がきわめて重要であると考えます。ある面から見た場合の正解が、別の面からみた場合には間違いであることは珍しいことではなく、ある立場にとって正義であることでも、別の立場に立った時には諸悪の根源であることは、往々にして起こることです。いろんな立場や考え方をどのように調整していくか、アメリカだけではなく、世界中で取り組んでいかなければならないことでしょう。
日本はかつて外国の文化を取り入れていない時期に、独自文化を育てることができましたが、これからの時代では、もはやそうしたことができるとは到底思えません。他の様々な考え方をもった国々とどうやって協調し、相互関係を築いていくかが大切になってくると思います。これを都立工芸の立ち位置に置き換えると、都立工芸がこれからますます発展していくためには、他の普通科高校、工業高校、大学や専門学校、企業や事業所、専門的な技術や知識をもっている方とよく協力していかなければならないと思っています。

2017
01.26

都立工芸高校の周りがきれいな訳

推薦による入学選抜の日、私は普段よりも早く登校しました。もう少し時間が遅くなると、朝日が工芸校舎の南面のガラスに反射して、交差点で青になるのを待つ人々を照らすようになります。6時台の水道橋駅前は普段よりも人が少なく、寒風が東京ドームから吹きつける中、勤め人も高校生も、外国人旅行者もみながコートの前をしっかりと押さえ、足早に歩いていました。
横断歩道を渡ると、ミーツポート前の広場を清掃している制服を着た人を見かけました。ほうきとちり取りを持って、タバコの吸い殻や風に舞う落ち葉を掃いていました。こんな時間に水道橋駅周辺を掃除し、かつ制服を着ているので、JRの職員の方か、都営地下鉄の職員の方だろうと思いました。そしてこんな朝早くから、仕事とはいえ清掃している人がいることを初めて知りました。私が学校の正門から入り、学校の入口に向かう階段を上りながら、ふと振り返るとその方はまだ閉じられている都立工芸の正門前をほうきで掃いていました。そばに寄っていて御礼を言おうと思いましたが、すぐに行ってしまったので御礼を言うことはできませんでした。その方にとってはルーティンの仕事として清掃しているのでしょうが、心のどこかにもっと街をきれいにしようという思いがなければ、都立工芸の前まで清掃するということはならないと思います。
時間が少し経って校長室から歩道を見ますと、今度は文京区の腕章と作業着を着た方が工芸高校前の歩道を清掃している姿が見えました。この方は時々見かけますが、いつも工芸高校前の歩道を清掃すると横断歩道を渡り、水道橋駅前までを清掃するのを日課としているようです。
その同じ時間帯には工芸高校用務担当の職員の方が、ほうきとちり取りをもって、工芸高校の玄関から正門周辺、外堀通り沿いの研修センターまでの歩道と植込みの清掃を行います。その職員の方が先日言っていました。「工芸高校の植込みの中に、ジュースやビールの空きカン、コンビニ袋、タバコの吸い殻を投げ込んでいく人が多くて困ります。(ゴミを入れた袋を持ち上げながら)今日はこんなにたくさん拾いました。」私から「ありがとうございます。ご苦労をおかけしますね。」と御礼を申し上げました。
全日制も定時制も生徒の皆さんの中には、「人間と社会」の活動で学校周辺の清掃を行った人がいます。工芸高校周辺は都会の繁華街で、大勢の人が集まり、その中には平気でゴミを捨てていく人もいます。掃除をしてみるとそうした心無い行動が、どんなに人間として醜いかが理解できます。でも、工芸高校の周辺はいつもきれいに保たれているのは、皆さんが登校する前に、いろんな方々が清掃しているからです。遅刻となる時間ぎりぎりにいつも登校していると、学校周辺の様子は目に入らないですね。毎日余裕をもって登校し、清掃してくださっている人たちに「いつもきれいにしてくださって、ありがとうございます」と声に出して御礼を言えるようになりたいものです。

2017
01.25

表彰していただくことのありがたさ

1月24日、グラフィックアーツ科生徒の作成したポスターに対して、主催団体の代表の方が御来校いただき、校長室で表彰式を行いました。2月1日にはアートクラフト科生徒のデザインしたメダルの表彰のため、やはり主催団体の方が御来校くださり、視聴覚室で表彰式を行います。
今年度もこれまでずいぶんと多くの生徒たちが、様々なコンクール、コンペで賞をいただき、表彰されました。本校のものづくり教育、デザイン教育のレベルの高さを広く全国に示すとともに、都立工芸生のがんばりを多くの方に知っていただくことができました。全日制、定時制ともに生徒の皆さんが専科の先生方からの御指導をきちんと受け止め、地道な努力を継続していることが、技術、技能の力を向上させ、同時に発想力や想像力の源となり、受賞へとつながっていると思います。
全日制であれば3年間、定時制であれば4年間、作品を制作し続けるには、自分の中に創作エネルギーをいっぱいもっていることが必要であろうと思います。皆さんの中には、入学段階からすでに、こうした創作エネルギーがこんこんと尽きることなく湧き出てくる人もいるかもしれませんが、多くの人はそうではなく、新しいものを生み出すことの苦しみ、自分の中に表現するものを探す難しさを感じている人も多いのではないかと思います。課題によっては、一つの完成作品を提出するだけではなく、完成作品とするアイディアに至るまでの多数の「発想段階のスケッチ」の提出を求められていることもあります。プロフェッショナルなクリエーターであれば、発想段階のスケッチの枚数を重ねれば重ねるほど、どんどんアイディアが湧いてくるものなのかもしれません。しかし、皆さんがそうしたエネルギーの不足を感じる場合は、外部からいろんな刺激、知識、教養、インスパイアするものを自分の中に取り込んでいかなければなりません。
工芸高校では各科で見学会などにより、本物を見に行く機会を数多くとっています。見学会の前には専科の先生から観察のポイントなどの御指導があると思います。こうした本物を見ることにより、とても大きな創作エネルギーをもらうことができるだろうと思います。そして外部の方から表彰してもらうことも、大きな創作エネルギーをもらうことになるのではないか、と思っています。コンクールやコンペにはそれぞれ主催団体の目的があり、協賛している会社や公共団体、大学や学校によって支えられています。賞をいただくということは、こうした主催団体や協賛している人たちの求めていることに、クリエーターとしてしっかりと応えたということでもあります。そして、こうしたコンクールやコンペを支えている人たちには、若者の創造性を伸ばしていきたいという使命感をもって、表彰作品を決定していこうとしていることから、いただいた賞状や賞品(トロフィーなども含め)には、若者を応援する思いがとてもたくさん含まれていると考えられます。したがって、わざわざ工芸高校に御来校いただき、表彰してくださるということは、受賞した生徒にエネルギーをくれることであり、また、都立工芸にもエネルギーをくれることではないか、と思います。
今年度、表彰された皆さんおめでとう。そしてこれからの皆さんの制作に向けたがんばりを期待しています。

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