2016
12.21

鎖国の功罪―長崎にて―

 日本語の中には幾多の外来語が使われていて、カタカナで表記してはされているものの日本語として完全に定着している言葉がたくさんあります。特に室町時代晩期、安土桃山時代にはスペイン、ポルトガル、江戸時代に入ってはオランダとの交易により、それらの国の言葉が入ってきました。例えばスペイン語ではシャボンやメリヤス、ポルトガル語ではパンやビードロ、オランダ語ではエレキやランドセルといった言葉がそれにあたります。第二次大戦後においては、世界の経済や産業の中心がアメリカであることや、日本自体が政治的、経済的、文化的に圧倒的なアメリカの影響下にあったことから、英語の外来語が多数を占めることになりました。しかし、それ以前においては、調べるといろんな国の言語から日本語に必要な言葉が取り入れられていることが分かります。
 言語も文化の一つであることから、こうした外来語が日本語の中に取り入れられることは一種の文化交流ということができます。もちろん言語による文化交流には、背景としてそれまで日本に無かった「物」そのものが国内に持ち込まれて広く知られるようになったり、実際に使われるようになったりしたということも示していると考えられます。例えば「こすると泡が出て体を洗う物」が日本に持ち込まれた故に、シャボンという言葉が外来語として定着したわけですし、「小麦粉を練ってイースト菌で発酵させた後に焼いた食べ物」が同様に持ち込まれたために、パンという言葉が外来語として定着したわけです。そしてこれだけ多くの外来語が存在し、その言葉が示す「物」が同様に多く存在することから、日本人の国民性として、新しいものや外国から入ってくるものに対して拒絶することなく、むしろ積極的に受け入れていく性格を有していると想像されます。
 長崎は、江戸時代の鎖国後に唯一ヨーロッパに門戸が開かれていた町であったため、進んでいる西洋の文明、文化、学問、技術に対しての日本人の対外的な興味、関心がこの町に集まっていただろうと推測します。しかし、江戸時代の出島はほんの小さな島でしかなく、オランダ人は大挙してやって来ていたわけではなかった。そしてキリスト教の再布教を幕府が恐れるため、できる限り出島を外界から遮断していたため、なかなか文化交流が進んでいくことがなかった。今回の修学旅行で稲佐山頂の展望台から長崎の町を一望しましたが、周囲を埋め立てられ、長崎の町と地続きとなっている現在の出島は、あまりに小さく何の変哲もない長崎市街の一部となっています。
 安土桃山時代に海外との文化交流で国内に輸入された様々な文化、文物は鎖国によって、国内で独自の発展をすることとなったことでしょう。また一方で伝統的な日本の文化、文物についても対外的な接触を経験することによって大きく変容し、江戸時代で発展していくこととなったと考えられます。安土桃山時代において、螺鈿はヨーロッパとの交易による重要な輸出品であったようです。おそらくより華やかなデザインがヨーロッパでは好まれたのではないかと想像されますが、こうした影響によってか、江戸初期に尾形光琳らによって大胆なデザインが表現されるようになりました(「八橋蒔絵螺鈿硯箱(やつはしまきえらでんすずりばこ)」が東京国立博物館に所蔵されていて国宝となっています。)。鎖国が存在しなければ、例えば螺鈿の意匠も江戸時代には全く別のものとなっていたのではないか。鎖国があったがために、日本独特なデザインが様々に工夫されるようになり、発展していったことが考えられます。
 歴史には「if」はありませんので、鎖国が存在しなかったらという設定によって日本の文化の発展や変遷を想定することは無意味でしょう。鎖国があったからこそ起きた日本独特な意匠の工夫に、私たちの美意識は魅かれているのではないか。すなわち、私たちの美的な感覚は安土桃山時代のヨーロッパ文明、文化との交流を経た後の江戸時代の日本独自の文化の発展に負っているところがきわめて大きいことを自覚する必要があると考えます。

2016
12.21

文化交流―九州国立博物館にて―

 全日制の修学旅行に同行しました。
 1日目と2日目は天候が思わしくなく、2日目に予定されていた軍艦島見学とイルカウォッチングは中止となってしましたが、それ以外の行程は予定通り実施することができました。
 1日目には九州国立博物館を訪問しました。九州国立博物館は2005年に開館した博物館で、大宰府天満宮の境内から立派なエスカレータで登った丘に建つ素敵な博物館でした。その展示内容は歴史的な視点が強いこと、アジアとの文化交流による日本文化の形成に関する視点が明確に打ち出されていることに特徴があるように感じました。縄文時代から中世の様々な文物が「文化交流展示室」で多数展示されていました。文化交流に視点を当てていることについて、博物館のホームページでは「日本の通史でもなく、九州の地域史でもなく、アジアとの文化交流史。私たちはこの展示室で、日本文化が外来文化の模倣だけでなく、消化し、蓄積して独自の世界を創造してきた道すじを示したいと思う。―中略―4階エントランスに掲げてある『海の道、アジアの路(みち)』。道は文化交流の動脈であり、生命でもある。人・モノ・情報が行き交う交通路であり、中継基地としての都市や貿易港を育んだ世界文明の神経である。陳列品が辿ってきた文化交流の道すじに思いをはせる場を提供することが、当館の文化交流展示室の重要な目的なのだ。教科書で見た名品を辿るのも良し、自分の好みの分野を回るのも良し、自由に、興味のおもむくままに文化交流の道を散歩していただきたい。」とあり、この文言にある通り、日本の古代史から順を追って文化的な発展を遺跡から発掘された遺物で追っていくのではなく、朝鮮半島、中国、琉球、日本国内の諸地域の文化的な相互作用がどのように起こり、変化や発展が起きていったか、そしてそれぞれの地域で独自のものとしてイノベーションが起こっていったかということが分かるような工夫をしていました。
 千葉県佐倉市には国立歴史民俗博物館があって、日本古代に関わる文化的な交流を示す北九州及び島しょの遺跡や発掘された石器、土器、青銅器等の展示を行っていますが(現在、古代史に関わる展示室はニューリアルのため閉鎖中)、九州国立博物館はそうした考え方を文化交流展示室において、全展示で徹底しているように思われます。
 この日、九州国立博物館では、螺鈿(らでん)展を開催していました。螺鈿は奈良時代に中国から日本にもたらされ、漆工芸(もともとは木工芸であったという解説もあります)に貝の内側の真珠質で美しい文様を表現する技法であることは、工芸生の皆さんは私より詳しく先生方から教えてもらっていたり、自分で調べたりして知っていると思います。今回の螺鈿展では、日本の螺鈿工芸作品だけを展示するのではなく、中国や朝鮮、琉球、アジア各地の螺鈿工芸作品を展示することで、螺鈿を通した文化交流に視点が当たるように工夫しているように思いました。螺鈿技法のルーツがどこにあるのかについても、いろいろと研究されているようですけれども、技法が伝わった各国、各地において、その国の人々が好む文様、美しいと感じる文様が表現され、現代に生きる私たちがそれを比べてみることで、螺鈿の発展、変化が感じられることはとても興味深く感じました。

2016
12.12

人工知能と創造性

今年(2016年)7月12日(火)NHKクローズアップ現代「進化する人工知能、ついに芸術まで」という番組を見た人はいるでしょうか。人工知能に17世紀のオランダの画家レンブラントを学ばせて、人工知能がレンブラントその人となって絵画を描くという話です。1年半かけて300ものレンブラントの作品を、絵の具の塗りの厚さまで人工知能が学ぶとともに、ディープラーニングという新しい学習方法により、人工知能自身でレンブラントの特徴を気付きながら学習していく、そして学習したレンブラントの技法に基づき、人工知能が肖像画を描き、描いた肖像画を3Dプリンターでプリントアウトすると、でき上がった作品はレンブラントそのもので、ちょっとやそっとでは見分けがつかない、きわめて高い芸術性をもっている、という内容です。
音楽や文学も含めて、人間しかできなかった創造的行為を人工知能により可能となる時代がすぐそこまで来ていて、人工知能が作り出した作品は芸術なのか、ということが番組では問題提起されていました。
人工知能がますます発達していったら、クリエイティブな分野の仕事は、人工知能が行うようになっていき、ものづくりの分野では人工知能の指示を受けたロボットが行うようになって、今まで人間が行っていた仕事を人工知能が代替するようになるのではないか。もっと端的に言えば、工芸高校で学んでいる生徒諸君の職業選択や、活躍の場がせばまってしまうのではないか、ということが気にかかります。
人間にしかできないものづくり、デザイン、創造があるということを信じたいし、人工知能がどんなに発達しようとも、この学校で培われる感性や創造性はこれからの社会になくてはならないものであると思います。しかし、人工知能にはできない人間にしかできないものづくりやデザイン、創造とは何か。将来の人口知能が何ができるのかが分からないので、何とも答えにくい問いです。ものづくり、デザインに関わっていく人間が考えていかなければならない課題でしょう。私たちは人工知能の追随を許さないデザインやものづくりの結果をもって答えを示してかなければならないかもしれません。

2016
12.09

勝とうとしなきゃ勝てない

今、全国のバレーボール好きに一番熱狂的に受け入れられている漫画は、間違いなく「ハイキュー!!」でしょう。
スポーツ漫画にはそれぞれの種目に定番となった名作が存在していて、例えば野球では「巨人の星」「ドカベン」、テニスでは「エースをねらえ!」、ボクシングでは「あしたのジョー」、サッカーでは「キャプテン翼」「イナズマイレブン」、バスケットボールでは「SLAM DUNK」、柔道では「柔道一直線」「YAWARA」といった作品がすぐにあがると思います。(高校生がスポーツ漫画の名作の例をあげると別の作品があがるかもしれません。)バレーボールにも「アタックNO1」という古典的名作がありましたが、「ハイキュー!!」は新たなスポーツ漫画の名作として位置付けられるのではないでしょうか。
別にバレーボールそのものが好きではないけれども「ハイキュー!!」は面白いと思って読んでいる人も結構いると聞いています。私が「ハイキュー!!」が好きなのは私自身がバレーボールを長くやっているということもありますが、作者が烏野高校以外の学校の生徒もきちんと描こうとしていて、特に試合に負けていく学校の生徒たちの思いも描かれているように感じるからです。
どんな種目でも全国大会で優勝しない限り、選手は必ずどこかで負けることを経験します。負けを経験することはつらいし悔しい。必ず経験する負けのために部活動で選手たちは一生懸命がんばります。しかし、部活動は、(運動部だけではなく文化部もコンテストや大会に出場すれば同様ですが)一つでも勝ちたいと思って努力すること、自分の限界を少しでも超えようとして自分自身との戦いを経験すること、自分だけで戦うのではなくて、友達や仲間(先輩、後輩)と思いや気持ちを共有して努力すること、そうした努力を支えてくれる人に感謝する気持ちをもつようになること、そして負けたときにその負けをどのように受け入れるかによって、さらに人間として成長するチャンスが生まれることに意義があると思っています。
タイトルの「勝とうとしなきゃ勝てない」は、烏野高校のキャプテンが、かつて中学生のときに言った言葉で、あまりバレーボールが強くない高校に進学したキャプテンの同級生がこの言葉を思い出して全力で奮闘する場面に登場しました。この言葉だけを切り取っても何の感動はありませんが、この場面の漫画を読むと、(あるいはテレビでアニメを見ると、)後悔の多い人生を歩んで歳を重ねた大人にとっては、こうした当たり前の言葉のもつ重みがズンと腹にこたえたりするものです。
「ハイキュー!!」は舞台にもなっています。「ハイパープロダクション演劇ハイキュー!!」という名称で、すでに「頂の景色」「烏野、復活!」の2作品が公演されました。私は舞台そのものではなく、ライブビューイングという映画館での実況中継で2作品の公演を見ました。その時、今どきの舞台演劇はなんて進んでいるのだろう、ということに感心しました。そもそもバレーボールを演劇の題材にするなどということは到底無理な話と高を括っていたのですが、実際に見てみると、そのように既成概念で考えることはとんでもないということが分かりました。舞台効果として映像や音響がふんだんに使われていて、それによって、こんなにも臨場感がある世界を生み出すことができるのだ、という感動がありました。こうした現在の演劇の効果手法に無条件で感心してしまい、「ハイパープロダクション演劇ハイキュー!!」の公演内容やキャストの表現といったことよりも、世の中の動きに疎くなってはいけないものだという反省をしきりに感じたところです。

2016
12.05

ネットワークを取り巻く状況2

生徒諸君は世界史の授業でローマ帝国について学習します。紀元前1世紀、ローマの重要な軍人で政治家にユリウス・カエサルという人がいます。英語読みではジュリアス・シーザーと言います。共和制からビザンチン帝国の滅亡にいたる二千年のローマ史の中で、最も重要かつ偉大な人物です。
この人の言葉の中で有名なものに、「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。」という言葉があります。世の中にはさまざまな現実があり、嫌なこともつらいことも、見たくないことも聞きたくないことも起きるわけですが、人はそうした現実の中で自分に都合のよいことだけしか見ようとしない、ということを今から二千年以上も前にユリウス・カエサルは言っています。もちろんカエサルが言いたいのは、自分にとって嫌なこと、都合の悪いことの現実にも目を向けなければいけない、ということですが、自分にとって嫌なことから目を背け、都合のよいことだけを認識して生きている人は少なくない、むしろ随分と大勢いるのではないか、と思います。
ところで、現在のコンピュータとネットワークの世界では、自分の都合のよいようにネットワークのほうが変化してくれるという時代になっていることを、皆さんは聞いたことがあるでしょうか。
「フィルターバブル」という言葉が一時期はやったそうです。この言葉はイーライ・パリサーというアメリカの人が書いた「フィルターバブル インターネットが隠していること(ハヤカワ文庫)」に書かれている言葉です。
現在、グーグルやフェイスブック、アップル、マイクロソフトなどの企業は、コンピュータを使用しているユーザーの情報を、何を検索したか、どんなことに興味をもっているのか、といった全て収集しているそうです。これはユーザーがクイックした事項を全て記憶しておけば、その人がどんな人であるのか、容易に判断することができる。そして収集した情報に合わせてユーザー一人一人のネットワークをデザインし、パーソナライズすることができ、現にそのようにしているそうです。したがって、グーグルで同じことばの検索をかけても、人によって検索結果が異なってくる。仮に皆さんの中にヒップホップ音楽が好きな人として、日頃からヒップホップ関係の検索をかけていると、ある言葉をヒップホップとは関係ないつもりで検索をかけても、ヒップホップに関わりがある検索結果がコンピュータ画面に現れ、コマーシャルバナーにもヒップホップに関わりのある商品が出現するということになるそうです。(私自身で確認していないので、本当にそのようになるかどうか時間があるときにやってみてください。)イーライ・パリサーはこうした状況をフィルターバブルと呼んでいます。
今の時代は、自分の意思とは無関係に、自分の好きなものだけが情報提供される、という時代になっているということです。
自分の好きなこと、好きなものだけに囲まれて、創造的な、クリエイティブな発想や仕事は果たしてできるのか。また、子供のときから自分の好きなものだけに囲まれて育ったら、好きなもの以外のものを受け入れることができる人間になれるのか。
こうしたことの延長線上に、自分が正義と思うもののためには、何をしてもよいという直線的な考え方も出てくるように思います。こうした状況に陥らないために、正しい判断ができるようになるために、知識と教養を身に付けることが大切で、自分にとって異質なものをしっかりと受け止めることができるようになっていくことが大事です。フィルターバブルの世界の内側は自分の好きなものしかない心地よい世界ですが、そうした自分の心地よい世界を打破し、異質なものへぜひ挑戦して欲しいと思います。

2016
12.05

キャリア教育について感じていること2

私は青森県の高校を卒業しました。青森で生まれ育ったのではなく、父の仕事の関係で高校2年生の2学期に都立高校から青森県立高校に転校しました。今から40年近くも前のことですので、先生や同級生の津軽弁が分からなかった。人柄が穏やかで優しい人が多かったので、私と話をするときは東京のイントネーションや言葉を使って話すように気を遣ってくれたのですが、中には面白がって、わざと津軽弁を強調する人もいて、そうした人の話はほとんど理解できませんでした。後に教員になってから、何かの本で戦前に青森の高校生と鹿児島の高校生が話をしたときに、言葉が通じなくて英語で話をしたという本当か嘘か分からないエピソードが書かれていましたが、そういうこともあるかしれないと肯いたものです。
青森は冬になると雪がたくさん降りました。(今でもたくさん降ると思います。)雪は12月になると根雪となって、春が来るまで溶けません。校舎のコの字のところには吹き溜まりができ、3m近く雪が積もりました。勇気のある男子生徒は、その吹き溜まりに3階から飛び降りてみせました。そして私は「東京っ子さに津軽の雪ん子の味を教えてやらねばまいね。」と言われ2階の窓から吹き溜まりに投げ込まれました。
進路を決めなければならない2学期の放課後、教室の窓から八甲田山を見ながら、同級生たちと卒業後どうするつもりかお互いに話しました。私は東京に戻って大学に進学する、という話を同級生にしましたが、同級生の中からは「お前がうらやましい」という反応がありました。私にとっては東京に戻り進学することは自明でありましたが、青森で生まれ育った同級生にとっては、高校を卒業した後に、東京に出て進学する、または就職するということは、人生全てを賭けた挑戦であったようです。青森を出て東京に出て進学するつもりだと話した何人かの同級生は、比較的経済的に恵まれた家庭の生徒だったように思います。しかし、中には親から地元の弘前大学以外の進学は認めない、合格しなければ農業を継ぐように言われている、あるいはお見合いをして嫁に行くように言われていると話した人もいました。
私が高校生の時に体験したこうした状況は、どこまで変わってきているのかよく分かりません。しかし、生徒諸君が都立工芸を卒業後に進む大学や専門学校、会社には大勢の地方から東京に出てきた人がいます。地方から出てきた人は、きっと田舎で暮らす親や親族、あるいは地元に置いてきた友人の思いを背負っていることでしょう。親が引き止めるのを振り切って東京に出てきて勉強をしたり、仕事をしたりしようとしている人もいると思います。当たり前のように東京都内で生活をして、進学をしたり就職したりしている私たちよりも、はるかにハングリーであることが多いのではないか。進学先の学校や就職した会社は、東京出身の私たちと地方から出てきたハングリーな人たちとを区別して評価するわけではありませんので、皆さんはそうした人たちと競争しながらがんばっていかなければならなくなると思います。
生徒諸君が、卒業後にこうしたいろんな人たちに負けないエネルギーを在学中に吸収してくれることを願っています。

2016
12.05

キャリア教育について感じていること1

都立工芸高校は東京のど真ん中にあり、生徒諸君も都内から通学してくるために、東京がいかに日本国内で突出しているか、私たちが意識することはありません。当たり前のように、大学進学を考える時には東京都内にある有名大学の名前を挙げ、就職を考える時も東京都内に本社のある東証一部上場企業の名前を思い浮かべます。
しかし、全国にある工芸系の高校に通学している高校生にとっては、このことはとてもうらやましいことであるだろうと思います。全国で行われる工業系、工芸系高校の研究協議会では、必ず高校生と地域産業とのコラボレーションによる町おこしや地域活性化の取組が発表されます。その内容のレベルの高さは驚嘆に値するほどであり、そうした取組によって、高校生たちの技術や意欲の向上が図られ、地域産業が盛り上がりを見せるような良好な結果までもたらしています。こうした全国の工業系、工芸系の高校のがんばりは、県内のその地域で大きな期待を担っており、それに応えようとする高校生たちの努力は素晴らしいとしか言いようがありません。そして地域の大人たちにとって工業系、工芸系高校がそこに存在していることが、地域活性化の起点として意識されていることに気が付かされます。
都立工芸は地方の高校と同じように、地元文京区の期待を一身に背負ってがんばっているでしょうか。確かに、文京区役所から御依頼をいただいているポスター、パンフレットのデザイン、防災マップの作成、地域のお祭りの装飾、警察や消防とのコラボレーション、地域の保育園や福祉作業所での奉仕活動、学校周辺の清掃活動など、全日制も定時制も工芸生はいろいろとやっていますが、地方と決定的に違う点は、都立工芸がさらにもっとがんばらなければ、文京区がダメになってしまうとか、文京区の人口が流出して産業が崩壊してしまう、というわけではありません。都立工芸だけではなく都内にある全ての都立高校、国立高校、私立高校の生徒たちは、学校が所在している地元産業界の要請を一身に全力で背負っていく必要がない。「人間と社会」で地域貢献活動を積極的に実施しよう、インターンシップをもっと取り組もう、と各高校でがんばっていますが、絶対的な必要性の面において地方の高校と置かれている状況がまるで違うように感じます。
 さて、文部科学省はこの10年「キャリア教育」を推進してきました。キャリア教育とは「一人一人の社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して、キャリア発達を促す教育(中教審答申H23年1月)」であり、その育成すべき力を「基礎的・汎用的能力」としています。「基礎的・汎用的能力」とは「人間関係形成・社会形成能力」「自己理解・自己管理能力」「課題解決能力」「キャリアプランニング能力」の4つの能力によって構成されますが、乱暴に括ってしまうと、これから私たちが生きていくために、社会の一員としての意識をもち、自己管理がしっかりできて、他人とコミュニケーションを取れ、何か起きた時にはそれを乗り越えて、将来を見通しをもって人生を送ることができるような力を身に付ける、ということです。東京に住んでいる私たちは、「基礎的・汎用的能力」を身に付けることだけを努力しながら、自分の進路をどのようにしていくか考えていくことができます。すなわち、東京で考えるキャリア教育には余計な足かせがありません。しかし、地方でのキャリア教育に対する受け取りはちょっと違うように私には感じられます。誤解を恐れず強い言い方をすれば、地元で育った若者が仮にいったん都会で大学に行ったり就職したりしたとしても、必ず将来、もう一度地元に呼び戻して、地域産業の活性化を図ることがキャリア教育である、と考えられているように思われます。

2016
12.01

進路について考える視点

進路を考えるにあたり、これからの時代をどのように考え、どんな大学に進学していくのがよいのか、どんな会社に就職するのがよいのか、判断がとても難しい時代となっているように感じます。
それは3つの理由があるように思います。1つめは情報化が進み、世の中の動きがますます速くなって、政治や経済、国際情勢の変化を見通すことが難しいこと、2つめは様々な工業製品がどんどん世の中に出ていて、これまで我々の生活が変わっていった以上にこれからの生活スタイルも変わっていく可能性が高いこと、3つめは人口増加によって生じる諸問題やテロや紛争、温暖化による様々な災害の発生の予測できないこと、です。
ところで、私が高校2年生だったのは1979年のことです。例えば初代ウォークマンが発売されたのは1979年でした。今から37年前のことです。銀座ソニービルの解体にあたり、ソニーのこれまでのヒット商品を展示する催しを開催しているニュースが報道されていましたが、その中にウォークマンも展示されていました。
この1979年段階では、世の中にはCDもDVDもブルーレイも無かった。ワープロもノートパソコンもウィンドウズもアップルマッキントッシュも無かった。携帯もスマホもメールもLINEもFacebookもなかった。そもそもインターネットが無かった。インベータゲームはあったが、ファミコンはまだだった。
この37年間はデジタル技術の発達、コンピュータとネットワークの発達によって私たちの生活スタイルは大きく変わったけれども、その変化に伴う仕事を、大勢の人たちが携わって収入を得てきた時代だったということもできます。製品の開発や販売、デザインの企画にいたるまで、生活スタイルの変化に人々は生活の糧を求めてきました。
では、生徒の皆さんが大人になり、仕事をして収入を得て生活していく、これからの37年間はどんなことが起き、どんな生活スタイルとなっていくのでしょうか。37年後とは2053年です。21世紀も半分を超えます。
私はこれからの時代を考えるキーは2つあって、1つはAIとロボットの発達、もう1つはグローバリズムの進展だと考えています。
AIすなわち人工知能について、最近様々なテレビ等で特集番組が作られるようになりました。2045問題ということを提唱する学者がいます。2045年問題とは簡単に言えば人工知能が人間の知能を2045年に超えるということです。私は、今人間が行っているものづくりとデザインの仕事の多くを、人工知能とロボットが担っていくようになるだろう、と考えています。ただ、人工知能がどんなに発達しても、全く新しいものを創り出すのは人間にしかできないことだと思います。したがって、自分のもつ創造性をどうやって伸ばそうとしているのか、そして実際に伸ばすことができるか、ということが進路をどうするかというときの判断のポイントとなるように思います。具体的に言えば、この大学に入学したら創造性を伸ばすことができるのか、この会社に就職したら創造性は伸ばすことができるのか、ということが進路を決めるときのポイントであるということです。
もう1つのグローバリズムとは、必ずしもアメリカを中心としたこれまで言われているグローバリズムではなく、世界中のどの地域でもこれからの若者たちの活躍の場になるだろうという新しいグローバリズムの考え方です。1980年代から2010年代までは日本の労働賃金は高く、中国が安かったから、工場がどんどん中国にできて企業は日本から出て行った。そして現在は中国の労働賃金が高くなり、ベトナムなどに工場ができるようになってきている。しかし、現在は労働賃金の安い国々も経済成長が起こり、確実に労働賃金は上がっていく。その結果、これからの時代はどんどん国別の賃金格差がなくなり、同一労働同一賃金となっていくだろう。ただし残念なことですが、個人の所得格差は広がっていくかもしれません。働く意欲が高い若者、高い技術をもっている若者が、世界中からの仕事の依頼を受けるようになっていき、どこの国にいても、労働に見合った報酬を得ることができるようになっていくと思います。アジアのどこかで仕事をする、アメリカのどこかで仕事をする、ヨーロッパのどこかで仕事をする、でも世界のどこにいても同じ賃金を受け取り、生活することができるようになるということです。日本だけが働く場所ではなくなっていく、日本だけにこだわれば、仕事の幅はどんどん狭くなっていくということでもあります。したがって、そうした世界中を活躍の場と考える視点をもった大学なのか、会社なのか、ということが進路を考えるときの判断のポイントとなるということです。
目の前の進学、就職といった判断をする際に、単にどこの大学を受験するとか、どこの会社に入社するといったことだけではなく、長期的なビジョンをもち、様々な視点で進路を考えてもらいたいと思います。

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